縁起流転水想観  Enryaku-kan

縁起流転水想観

 

 

舎利子よ。

 その教えをここに説くならば、形ありとて形にとらわるべからず。縁あってかりに形を生じたものなれば、縁によっては、また、形なき空なるものに変らん。また、形なしとて無しと思うな、縁によっては、形を生じ相をあらわす。

たとえば、かの水を見よ。熱するという縁をあたうれば熱湯となり、蒸気となって空にとけこむ。

 

 

さむればふたたび水となり、雨となって地に降りそそぐ。寒冷の縁にあわばかたき氷となり、つめたき霜の柱となる。

 

水の自性に変りなく、ただ縁によってかく変化す。世のことすべてみなこの如し、形あるも無きも本は一体にして、すべて因縁次第なり。

 

人の心の作用の、受も想も行も、識のはたらき、すべてこの理にほかならず。

人は敷き、悲しみ、あるいは喜ぶ、されど、人の性の内に、敷き、悲しみ、喜びの、

一定の性のあるにはあらず。因縁因果の理法により、因に応じ、縁が動いて、かりに相をあらわすのみ。これを空の理と云うぞ。         (意訳般若心経)

 

Engi Ruten

Enryaku-kan

Sariko.

If you teach that teaching here, don’t take it as a form. Relationship

If it becomes a shape, it will change to an empty shape, depending on the edge. Also,

I don’t think there is a shape, but depending on the edge, it creates a shape and represents a phase. For example,

Look at the water. When it hits the edge of heating, it becomes hot water and becomes steam and melts into the .emptiness

If you sneak in, it will become water again, and it will rain and pour on the ground. Abalone on the edge of cold

It becomes ice and becomes a pillar of frost. It does not change to the nature of the water, it changes only by the edge

You Everything about the world is like this, the book with and without form is united, and everything depends on the cause

Nari The action, the thought, and the deed of the actions of the human mind, the function of knowledge, all this reason.

A person lays, mourns, or rejoices, but within the sex of a person

Not to have a certain sex. According to the causal law, the edge moves according to the cause,

It only shows the phase. This is called      emptiness  theory. ______

縁起流転水想観  Enryaku-kan

えんぎ るてん

縁起流転水想観

 

 

舎利子よ。

 その教えをここに説くならば、形ありとて形にとらわるべからず。縁あってかりに形を生じたものなれば、縁によっては、また、形なき空なるものに変らん。また、形なしとて無しと思うな、縁によっては、形を生じ相をあらわす。

たとえば、かの水を見よ。熱するという縁をあたうれば熱湯となり、蒸気となって空にとけこむ。

 

 

さむればふたたび水となり、雨となって地に降りそそぐ。寒冷の縁にあわばかたき氷となり、つめたき霜の柱となる。

 

水の自性に変りなく、ただ縁によってかく変化す。世のことすべてみなこの如し、形あるも無きも本は一体にして、すべて因縁次第なり。

 

人の心の作用の、受も想も行も、識のはたらき、すべてこの理にほかならず。

人は敷き、悲しみ、あるいは喜ぶ、されど、人の性の内に、敷き、悲しみ、喜びの、

一定の性のあるにはあらず。因縁因果の理法により、因に応じ、縁が動いて、かりに相をあらわすのみ。これを空の理と云うぞ。         (意訳般若心経)

 

Engi Ruten

Enryaku-kan

Sariko.

If you teach that teaching here, don’t take it as a form. Relationship

If it becomes a shape, it will change to an empty shape, depending on the edge. Also,

I don’t think there is a shape, but depending on the edge, it creates a shape and represents a phase. For example,

Look at the water. When it hits the edge of heating, it becomes hot water and becomes steam and melts into the .emptiness

If you sneak in, it will become water again, and it will rain and pour on the ground. Abalone on the edge of cold

It becomes ice and becomes a pillar of frost. It does not change to the nature of the water, it changes only by the edge

You Everything about the world is like this, the book with and without form is united, and everything depends on the cause

Nari The action, the thought, and the deed of the actions of the human mind, the function of knowledge, all this reason.

A person lays, mourns, or rejoices, but within the sex of a person

Not to have a certain sex. According to the causal law, the edge moves according to the cause,

It only shows the phase. This is called      emptiness  theory. ______

ソンディー  心理学

 

 

 

110306_2305

  • レオポルド・ソンディは、1893年、当時のハンガリー領(現チェコスロハキヤ領)のニイトラという町で生まれる。父はユダヤハンガリー人で、靴加工職人であった。彼は12人の同胞中、第12子で、かつ後妻の子であった。4歳の時、プタペストにいる異母兄にひきとられ成育した。その後1944年にナチのユダヤ追放の悲運に会うまでの47年間は、この地にあり、教育もこの地で受けたが、幼少時代からの貧困で複雑な家庭環境は、とりわけ異母兄夫婦のいさかいを見るにつけ、彼をして家族の問題に過敏にさせる素地を形成していった。
  • 1911年に高校を卒業と同時に、医科進学のための国家試験に合格。1919年ブタペスト大学医学部より学位を取得している。
  • 大戦後は、プタペスト大学のランシュブルグ教授が主宰する実験心理学研究所の助手にもなり、記憶実験や知能測定の実際を学んだ。最初の公刊論文は、この助手時代の成果である『欠陥知能』であった。
  • 1927年、プタベストの治療教育大学の精神病理学教室の講師に任ぜられ、同時に精神療法クリニックの医長も兼務し、1941年、ナチの追害による公職追放にあうまで、この地位にあった。この14年間は、ハンガリー時代における精神科医としての、もっとも充実した活動の期間でもあった。ことに精神薄弱児の治療と教育に関連しての体質学への関心は、遺伝学への興味となり、ミュンヘン大学のルーディン一派の家系研究に傾倒した。やがて無意識の遺伝学として、配偶者選択や職業選択のあり方に注目させ、ソンディをして生涯のテーマである運命分析学の臨床家たらしめることになった。

 

 

1. ソンディはフロイトの精神分析の本質である「無意識の抑圧と防衛の力動過程」の構造を,思考や観念ではなく目に見える形で表現する選択テストを創案すると同時に,その理論として衝動の選択心理学を創始した.そして,その認識方法を,精神の治療面と診断面で実用化する衝動病理学,衝動診断学を展開し,それによって思考精神医学の退路を遮断,実用精神医学への道を開いた.選択は運命であるゆえ,それは運命分析へと発展したのである.

2. フロイトがいろいろな局面で言及し,立ち止まらざるを得なかった原因,つまり分析を困難ならしめる「素因的なもの」というのは,「いろいろな無意識層のうち特に祖先から伝わり現在その個人の精神に成り変わって自演している厄介な衝動の振る舞い」にほかならなかった.これはソンディ心理学において8個の遺伝子記号の様態で表現される.この「遺伝子の力動過程」を,構造的に視覚化する方法,およびその認識を治療面で実用する運命分析療法を創始し,「終わりなき分析」を終結させる方法を完成した.

要約すれば,ソンディは,フロィトが1905年以来,本能と明確に区別して追求した「衝動 1)」のふるまいを研究し,次のような衝動学の全体系を完成させたのである.

衝動心理学——–「衝動ファクタ・ペクタの心理学」および「実験的症候群論」
衝動測定学——–「ソンディ・テスト」器具,方法,一般的解釈法
衝動診断学——–「実験衝動診断学」および「リンネ式表」,特別な解釈法
衝動病理学——–「衝動病理学A,B」および「自我分析」
衝動分析学——–「運命分析」
衝動治療学——–「運命分析療法」
彼が,多くの流派に分裂した深層心理学を統一しようと考えていたことは,フロイトの真の後継者として当然であった.彼が深層心理学研究の主流と考えた無意識の層は,フロイトの個人的無意識,ユングの集合的無意識,そして彼自身の家族的無意識の3つの層である.

それゆえ,ソンディ・テストの結果得られる前景・理論背景・実験背景の3つの人格プロフィルは,それぞれの無意識層が表現される.すなわち

精神分析的解釈(S.Freud)
象徴分析的解釈(C.G.Jung)
運命分析的解釈(L.Szondi)
の3通りの解釈が同時に実現し,了解され,説明される構造になっている.

本書は,ソンディがフロイトの遺言を完全に引き受け,延長し,無意識の遺伝学と診断・治療学を完成した事実と方法を,心理学徒やカウンセリングを学ぶ人にとって,すぐ役に立つ実用的な形で記載したものである.原稿を書くにあたって先人の訳業も充分に活用したが,重要部分は必ず原著に当たるとともに,ソンディに会って直接確かめた事項に基づき,新たな解釈を付け加えた部分も多い.

本書の各項にちりばめられているソンディの学説は,以下にあげる主要原著から得られたものである.

「運命分析」(1944,1948,1964)
「ソンディテスト」(1946)
「衝動病理学A,B」(1951)
「自我分析」(1956)
「衝動リンネ式表」(1960)
「実験衝動診断法」(1960)
「運命分析療法」(1963)
「衝動統合を失った人々」(1979)

人は輪廻転生するか   Does a person reincarnate?

<img class=”alignnone size-thumbnail wp-image-2133″ src=”http://cyber-price.com/buddha/wp-content/uploads/2020/05/images-12-150×150.jpeg” alt=”” width=”150″ height=”150″ />

&nbsp;

<span dir=”LTR”>人は輪廻転生するか</span><span dir=”LTR”>  </span>

&nbsp;

&nbsp;

<span dir=”LTR”>理解できなかったのも無理はないのである。現世において現実にこうして自分は存</span>

<span dir=”LTR”>在しているのに、その自分(自我)をみとめないなんて!</span>

<span dir=”LTR”> そこで、世尊、ねがわくばわたくしのために教法を説いて、智慧の眼をひらかせて</span>

<span dir=”LTR”>ください。こうお願いしたわけである。</span>

&nbsp;
<h2><span dir=”LTR”>仏陀と弟子の霊魂論</span></h2>
&nbsp;

<span dir=”LTR”>そこで、釈尊は、セーニヤに無我・縁起の法を説かれたのである。</span>

<span dir=”LTR”>まず、釈尊はセーニヤに、</span><span dir=”LTR”>「身体</span><span dir=”LTR”>が</span><span dir=”LTR”>ハートマン)か?」</span>

<span dir=”LTR”> と質問する。セーニヤは「いいえ」と否定する。</span>

<span dir=”LTR”> 「では、受・想・行・識のこころのはたらきが自我(アートマン)か?」</span>

<span dir=”LTR”> とたずねる。セドニヤはこれまた、「いいえ」と否定する。</span>

<span dir=”LTR”>「では、色の外に自我(アートマン)があるのか? 受・想・行・識の外に自我(ア</span>

<span dir=”LTR”>ートマン)があるのか?」</span>

<span dir=”LTR”> セーニヤはこれまた否定する。</span>

<span dir=”LTR”>「では、色のどこかに自我(アートマン)があるのか?」</span>

<span dir=”LTR”>「いいえ」</span>

<span dir=”LTR”>「では、受・想・行・識のどこかに自我(アートマン)があるのか?」</span>

<span dir=”LTR”> これまたセーニヤは、「いいえ」というよりほかはない。</span>

<span dir=”LTR”> 釈尊はこのようにたてつづけに質問して、色・受・想・行・識(五羅という)の内</span>

<span dir=”LTR”>にも外にもどこにも「自我」(アートマン)という特別な存在が、実在していないこ</span>

<span dir=”LTR”>とをさとらせるわけである。というのは、さきにものべたように、当時の代表的な思</span>

<span dir=”LTR”>想であるバラモン教では、五菰のほかに特別な自我(アートマン)という存在があっ</span>

<span dir=”LTR”>て、これが不滅の実在であり、(死んで)五羅が消滅しても、これが、輪廻再生する</span>

<span dir=”LTR”>のだと説いていたからである。釈尊は、そういう、五羅のほかに実在するという自我</span>

<span dir=”LTR”>(アートマン)はないのだということを、セーニヤにひとつひとつ質問して理解させ</span>

<span dir=”LTR”>たわけである。</span>

<span dir=”LTR”> では、いったい自我(アートマン)はどこにあるのかというと、色・受・想・行・</span>

<span dir=”LTR”>識の五菰の結合自体が自我であるというわけである。つまり、自我というものは、</span>

<span dir=”LTR”>色・受・想・行・識の五羅がひとつの因縁によって集合してできたものであって、そ</span>

<span dir=”LTR”>れをはなれて特別な自我(アートマン)という実在はないのだというのである。だか</span>

<span dir=”LTR”>ら</span>

<span dir=”LTR”>  『第三師は現在世に我(の実在)を見ず。命終の後も我(の実在)を見ず』</span>

<span dir=”LTR”> ということになるわけである。</span>

<span dir=”LTR”> 因縁による五羅の仮合そのものが自我であり、因縁が消滅すれば五羅も消滅し、同</span>

<span dir=”LTR”>時に自我も消滅する。どこにも常住不変の実在としての自我などない、ということで</span>

<span dir=”LTR”>ある。</span>

<span dir=”LTR”> </span>

Will people reincarnate?

No wonder they didn’t understand. This is how I really exist in this world

Even though I’m there, I can’t find myself!

Therefore, preaching the teaching method for Negaku Wakubakushi, open the eyes of wisdom

Please give me. That’s why I asked.

Buddha and disciple soul theory

Therefore, Shakyamuni had Senya explain the law of selflessness and auspiciousness.

First, Shakyamuni asked Senya, “Is the body a Hartman?”

Ask. Senya denies “no”.

“So, is the ego (artman) the work of the mind of reception, thought, conduct, and knowledge?”

Ask. Sedonia also denied “no”.

“So, is there an ego (artman) outside the color?

Is there a (Man)? ”

Senya denies this again.

“So, is there an ego (artman) somewhere in the color?”

“No”

“So, is there an ego (artman) somewhere in the mind, thought, conduct, or sense?”

❖ Again, Senya is nothing more than “No”.

Shakyamuni asks questions like this, and chooses from among colors, receiving, thoughts, conduct, and knowledge (referred to as Gora).

In addition, there is no special existence called “ego” (artman) in the outside or anywhere.

And let’s stop. Because, as I mentioned earlier, the typical thoughts of the time

In the idea of ​​Brahminism, there is a special ego (artman) in addition to the five points.

This is an immortal reality, and even if (dead) Gora disappears, it regenerates.

Because he was saying that. Buddha is such an ego that exists in addition to Goura.

Asking Senya to understand that there is no (Artman)

That is why.

Then, where is the ego (artman)? Color, reception, thought, line,

That is, the combination of the five points of knowledge is the ego. So the ego is

It is a collection of the five elements of color, reception, thought, deed, and intellect, all of which are related to one another.

It is said that there is no reality of being a special ego (artman). Or

From

“Third teacher does not see me” in the present world. Even after the end of my life, I don’t look at myself

It means that.

The intent of Gora by the cause is the ego itself, and when the cause disappears, Gora also disappears.

Sometimes the ego disappears. That there is no ego as a permanent immutable reality

is there.

&nbsp;

人は輪廻転生するか  Does a person reincarnate?

人は輪廻転生するか

               

 

 釈尊はセーニャにたいして、こう教えておられるのである。

 なるほど、釈尊は、霊魂ということぼけ使っていらっしゃらない。しかし、よ

ろしいか、身やぶれ命終して現世の五羅が消滅しても、「異羅」が生じて相続す

るとおっしゃっておられるのである。「羅」とは。集まり”という意味であるか

ら、異羅とはいまの五羅とまた異なった集まり、つまり剰冽所行剰石川、と解釈

したらよいであろう。それが存在を受けつぐというのである。つまり、死んでも

人間は、我執か残るかぎり、「なにかが」存在をつづけるのである。どうして。

日本の仏教はいままで、こんな重大なところを見落としてしまも知れない。

 

常見とは、前にのべた通り、「常住不滅」ということである。だか

ら、霊魂ということばは使わないにせよ、死んでも存在をつづけるというのは

そういうと、それでは「常見」になるのではないか、というひとが出てくるか

「常見」ではないか、そういわれるかも知れない。

 

そうではないのである。我執の煩悩さえなければ、異羅は生じないし、それは

消滅してしまうのである。「常住不滅」ではないのである。

 

バラモンその他が説

くように、自我(アートマン)が常住不滅の。実在”であるならば、なにをどう

したって、その存在は消滅することはない。

いつまでも輪廻転生をつづけるであろう。しかし、釈尊は、それは実在ではなく、

「因縁の仮合」だとおっしゃっておられる。因縁の仮合だから因縁が消えればすべてが消える。

ではなんの因縁なのかというと、慢(我執煩悩)の因縁であるという。だから「常見」ではないわけである。

 

 

Does a person reincarnate?

​​​​​​​​​​​​

The Buddha taught Senya that:

I see, Buddha doesn’t use the soul as a blur. But yo

Is it okay? Even if Gora of this world disappears after death or death, “Gora” will be inherited and inherited.

You said. What is “Ra”? Does it mean “gathering”?

Gira is interpreted as a gathering that is different from the current Gora, that is, Zurujisho Yuru Ishikawa.

I would do it. It accepts the existence. In other words, even if you die

Human beings continue to exist as “something” as long as they are obsessed. why.

Until now, Japanese Buddhism may overlook such an important place.

Tomimi, as I mentioned before, is “immortality.” Or

Even if you don’t use the word soul, you can continue to exist even if you die.

If that is the case, will some people come up with the idea that it will become a “regular view”?

It may be said that it is not “Tsumi”.

That is not the case. Gira wouldn’t occur without the anxiety of patience.

It disappears. It is not “immortal”.

Brahmin and others explain

As you can see, the ego (artman) is immortal. What is it if it is “real”?

After all, its existence will not disappear.

It will continue to reincarnate. But Buddha said it wasn’t real

You say that it is a “temporary marriage”. Because it is a temporary relationship, if the relationship disappears, everything disappears.

Then, what is the cause of this is that it is the cause of pride. That is why it is not “constant”.

 

霊的身体について  About the spiritual body

霊的身体とチャクラについての誤解

 

1.霊的身体についての誤解

古神道の四魂説と、神智(しんち)学の身体観

現在のスピリチュアリズムにおいて、誤解されがちな問題の一つが、人間の霊的身体についての見解です。“古神道”では人間の身体構成を「四魂説」で説いていますが、この四魂説がスピリチュアリズムの身体観と一致すると考える人々がいます。四魂説でいう荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)は、肉体・幽体・霊体・本体(神体)に相応すると言うのです。四魂説では、肉体以外に3つの霊的身体の存在があるということになりますが、浅野和三郎がこの四魂説を主張したことはよく知られています。その浅野和三郎の影響が、現在の日本のスピリチュアリズムにも引き継がれています。

またスピリチュアリストの中には、“神智学”の身体観をそのまま信じている人々もいます。神智学では、肉体以外に、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体といった複数の霊的身体があって、それらが肉体に重複しているとします。その「多次元的身体」から、それぞれ異なるオーラが放射されていると言います。

さらにはR・シュタイナーは、神智学から出て、別の身体観をつくり出しました。シュタイナーも、神智学同様、多次元的な身体観を説いています。シュタイナーは、肉体以外に、エーテル体・アストラル体といった霊的身体の存在を主張していますが、それらは神智学と同じ名称を使いながらも、内容的には異なったものとなっています。

この他にも、さまざまな宗教で独自の身体観が説かれています。

「神智学の身体観」と「スピリチュアリズムの身体観」は一見似ているが……

このうち最もスピリチュアリスト達に影響を与え、誤解と混乱を生じさせているのが神智学の身体観です。スピリチュアリズム関連の書物の中で、神智学の「多重身体観」が取り上げられ解説されることがあります。そこでは神智学の身体観は無条件に正しいものとして紹介されています。そのため多くのスピリチュアリストが、スピリチュアリズムの身体観と神智学の身体観は同じものであると錯覚するようになっています。

重要な結論を言えば、神智学や古神道の身体観と、スピリチュアリズムの身体観特にシルバーバーチの身体観)は、一見似ているようで、実は本質的な違い・根本的な違いがあるということです。この違いを明確にすることは、スピリチュアリズムをより深く理解することに通じます。

以下では、シルバーバーチの説明を手がかりにして、スピリチュアリズムの正しい身体観を見ていくことにします。

「霊界の界層」と「霊的身体」の関係

身体は、神の分霊である人間の「霊(真我)」にとっての表現形式の一つです。身体は霊という無形の分霊を表すための個性的な表現形式で、霊を種子とすれば、それを包む果実と考えられます。地上人にとっての身体は2種類あり、すでにご存じのように霊的身体と肉体がそれに相当します。死後の世界において用いる身体が霊体であることは、スピリチュアリズムにおいては常識です。霊体について今さら何の説明が必要なのかと思われるに違いありませんが、この「霊的身体」に対する見解が、現在の多くのスピリチュアリストの間に、誤解と混乱を引き起こしているのです。

死後の世界(霊界)が、さまざまな界層からできていることは、スピリチュアリズムを学んだ方ならば誰もが知っています。霊界はバイブレーションの異なる多くの界層から成り立っています。そしてそれぞれの界層には、その世界にふさわしい霊的成長を遂げた霊達が住んでいます。すなわち高い世界には霊的に進化した霊達が住み、霊界の下層には霊的進化の程度が低い霊達が住むというように、はっきりとした住み分けがなされているのです。高級霊の霊的身体は、高い世界に見合った精妙なバイブレーションをともない、低級霊の霊的身体は、低い世界に合った粗雑なバイブレーションをともなっています。

さて死後の世界である霊界ですが、ある人は霊界は大きく3つの界層から成り立っていると言い、別の人は7つの界層から成り立っていると言います。また9つの界層から成り立っていると言う人もいます。このうち最も多く信じられているのが、7つの界層から成り立っているという見解です。マイヤースやインペレーターは、世界は物質世界を含め7つの界層から、そして神智学も、世界は7つの界層から成り立っているとしています。

厳密に言えばインペレーターは、世界を3つに分け、それぞれの世界は7つの界層から成り立っていると言います。そして地球は、一番下の世界の7つある界層の最上層の世界であるとしています。つまり地球の位置する世界の上に、さらに7つの界層を含む2つの世界があるとして、トータル21の界層を想定しています。

またコナン・ドイル霊は、地球の上に、それぞれ3つの界層からなる幽界・霊界・神界と1つの超越界があるとして、10の死後の界層の存在を述べています。

霊界で使用する霊的身体は、各界層に適合する材質からなる身体と考えられます。したがって界層が4つあるなら4つの異なる霊的身体が必要になり、界層が7つであるなら7つの異なる霊的身体が必要になるということです。こうした見解は、とても理論的で筋が通った説明のように感じられます。事実、大半のスピリチュアリスト達がそのように考えています。しかし、この見解には大きな矛盾があるのです。

霊界は、グラデーション的変化をともなう一つの世界

ここで問題としなければならないのは、状態の異なるそれぞれの界層は、明確に区切られているかどうか、明確な境界線があるかどうか、ということです。7つの界層というと普通は、7つの別々の層が、上へ上へと積み上げられているようなイメージを描きがちです。バームクーヘンを大きくしたような、地理的に層をなしている状態を思い浮かべます。多くの人々は無意識のうちに、この7つの界層には区切りがあると考えているのです。

一方、スピリチュアリズム関係の多くの霊界通信では、界層の境界は明確なものではないとしています。7つの世界があるといっても、それは虹のように上下の界層が交じり合って連続していると言うのです。「上下の界層間には明確な境界線は引けないが、全体的に見ると、虹が7色から成り立っているように区分がある」と言うのです。

スピリチュアリズムでは“界層”という言葉を用いていますが、それはどこまでも便宜上、使っているに過ぎません。現実には――「霊界は一つの世界であり、それがグラデーション的に状態が変化している」ということなのです。シルバーバーチは、次のように明快に述べています。

「霊界は7つの界に分かれているなどと、まるで地図でも見るような言い方をする人がいますが、そのようなものではなく、すべてが融合し合っているのです。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.95

「私はその“7つの界”とやらを知りません。第1から第7まで番号のついた界というものを私は知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしているということです。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)  p.51~52

霊体は、グラデーション的変化をする一つの身体

霊界における状態の異なった場を界層と名付けるならば、グラデーション的変化をともなう霊界は、無数の界層から成り立っているということになります。3つだ7つだ、9つだというようなものではなく、無数の界層が存在するということです。その無数の界層には、それに見合った霊的レベルの霊達が生活しています。ここまで言えば、人間には3つの霊体がある、7つの霊体があるという考え方の矛盾に気がつかれるはずです。

霊界が無数のグラデーション的変化をともなう世界ならば、そこに住む人間の霊的身体も、無数のグラデーション的変化をしなければなりません。霊界の無限の状態変化に対して、人間の霊的身体も無限の変化をして初めて適応することができるようになります。これが霊的身体について考える際の、一番の原則であり、最も重要な点なのです。人間の霊体は、3つ、7つというように複数あるのではなく――「グラデーション的に変化する一つの身体である」ということがポイントなのです。

とは言うものの、シルバーバーチ自身が、人間には多くの身体があって、死後それを脱ぎ捨てていくというような言い方をしている箇所があります――「あなたには沢山の身体が備わっています」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.104)

これを文字どおり受け取るならば、シルバーバーチの身体観は、神智学や古神道の身体観と同じということになってしまいます。しかし『シルバーバーチの霊訓』は、神観を理解するときもそうであったように、一部の言葉だけを鵜呑みにすると、大きな誤解をしてしまうことになります。他の説明箇所も含めて、トータル的に判断しなければなりません。この場合も、まさにそれが当てはまるのです。

私達は、シルバーバーチの次のような別の言葉に注目しなければなりません――「あなたは常に、その時点での霊格にふさわしい身体で自我を表現しているわけです。死後の身体はそういう過程をたどります。それが無限に続くのです『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.104)「一連の身体があり、それをアストラルだのエーテルだのと呼んでおられますが、それも一個の霊が顕現したものなのです。用語に惑わされてはいけません」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.106)

シルバーバーチは、3つ、7つというような独立した複数の身体の存在を肯定しているわけではありません。

「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意は?

シルバーバーチは――「そしてさらに進化すると、昆虫が脱皮するようにそれを脱ぎ捨てます」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.104)と言っています。この言葉をそのまま受け入れるならば、霊界では、霊的進化につれて古くなった霊体を脱ぎ捨て、新しい霊体をまとって次の界層に行くということになります。

霊的身体はグラデーション的変化をしながら、さまざまな様相を示すことになるという基本的原則を正しく理解していないと、シルバーバーチの「霊体を脱ぐ」という表現に惑わされ、ここでも大きな勘違いをすることになってしまいます。シルバーバーチの「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意を理解するためには、次の説明を正しく知っておくことが必要です。

「自然に成長し、自然に進化していくのです。程度の低い要素が高い要素に、その場を譲っていくのです。何度も死に、何度も誕生するのです。幽体は肉体の死と同じ過程で失われていくのではありません。低級なものが消えるにつれて浄化され、精妙になっていくのです。それが幽体の死です。そもそも死とは、変化であり復活であり、低いものから高いものへの上昇です。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.128下線は筆者記)

ハート出版『不滅の真理』の218頁には――「人間には幾つもの霊的身体が備わっているわけです」とあります。この原文は、“You have bodies.”であり、文脈から判断すれば霊体と肉体の2つの身体と考えなければなりません。それを幾つもの霊体としたのは、明らかな誤訳です。

全く同じ原文が、潮文社『シルバーバーチの霊訓(3)』の195頁、2行目では――「幾つかの身体が備わっているわけです」となっています。こちらが正しい翻訳です。

「肉体の死」と「幽体の死」の違い

ここ(『シルバーバーチの霊訓(4)』p.128)では、「幽体の死」についての説明がなされています。シルバーバーチは、「幽体の死」は、「肉体の死」とは異なると明確に述べています。

まず「肉体の死」ですが、これは言うまでもなく、霊的身体が「肉体という古くなった身体(衣)を、文字どおり脱ぎ捨てること」です。霊体と肉体という2つの身体が、永遠に分離することです(図1)。

一方「幽体の死」については、幽体にも死の状態があるが、その死は「肉体の死」とは内容的に異なると述べています。すなわち幽体の死とは、肉体の死のように「古くなった身体を脱ぐことではない」と言っているのです。「幽体の死」とは、新旧2つの身体が永遠に分離するということではないのです。

【図1】 霊体と肉体の分離

霊的身体は一つですが、それが地上人の場合や死後間もない霊の場合は、幽体と呼ぶことがあります。つまり霊体の低い状態のことを幽体と言っているだけのことで、全く同じものなのです。

「幽体の死」とは精妙化のプロセスのこと

シルバーバーチは、「幽体の死」とは、浄化であり精妙化のプロセスであるとも言っています。これは新しい身体が古い身体を脱ぎ捨てるのではなく、一つの身体の状態が変化することを意味しています。私達の肉体は、古い細胞を捨て去り新しい細胞をつくり出しながら、常に同じ一つの身体を維持しています。外皮のすべてを一度に剥ぎ取って、突如新しい身体が生まれるわけではありません。

幽体の変化も、これとよく似ています。幽体は、古い衣服を脱ぎ捨てるように変化するのではなく、幽体の古くなった幽質細胞を捨て去り、新しい幽質細胞に徐々に場を譲っていくプロセスで変化していきます。それをシルバーバーチは比喩的に、「古い身体を脱ぎ捨てる」と言ったのです。つまり「状態の変化・身体の精妙化」ということを指しているのです(図2)。

【図2】 同一体(霊体)の変化

霊界では、こうした「幽体の死」と同じプロセスが、永遠に続いていきます。霊的な進化にともない、自動的に霊的身体の精妙化という過程が続くということなのです。こうして一つの霊的身体はグラデーション的に変化し、無限の変化の様相を持つことになります。この一連の変化を時間をおいて観察すれば、別々の身体をまとっているように見えるのです。

「幽質接合体」の脱ぎ捨て

地上人は、多くの霊体を重ね着しており、霊界での進化にともないそれらを一枚ずつ脱ぎ捨てていくという、一般的に信じられている身体観の間違いが明らかになりました。霊体はそれ自体が変化していくのであって、脱ぎ捨てるという文字どおりのプロセスがあるわけではありません。

さて、ここでは「脱ぎ捨てる」という表現がまさにそのまま当てはまるような、特別な事例を取り上げることにします。それが死の直後に生じる、「幽質接合体」の脱ぎ捨てなのです。

スピリチュアリズムでは一般に、人間を、霊体と肉体の二重構造の存在と説明します。そして“死”とは、霊体と肉体を結ぶシルバーコードが切れ、2つの身体が永遠に分離することだと言っていますが、次に地上人の身体構成を、もう少し詳しく見ていくことにします。

実は、霊体と肉体という2つの身体の中間に、これらを結合する「幽質の中間身体」が存在しています(図3)。幽質でできた衣のような接合身体と言ってよいでしょう。霊体と肉体という2つの身体を結ぶ“接着剤”が、身体のような形をしている状態を思い浮かべたら分かりやすいと思いますが、そうした中間体があるのです。その中間身体は、肉体に近い部分は物質性が濃厚で、霊体に近いところは幽質に近い状態となっています。全体として見れば半物質・半幽質の中間身体と言えるでしょう。

【図3】 地上人の身体構造

睡眠中の幽体離脱時には、この中間接合体が分離し、シルバーコードが形成されます(図4)。シルバーコードは無限に伸びる不思議な性質を持っていますが、肉体の死にともない、切断されることになります。その際、接合体の一部は霊体の外皮のような形で、霊体に引っ付いていきます。地上の時間にして数日間ほどは、霊体は「幽質接合体」という外皮をまとい、そして徐々に、この外皮を脱ぎ落としていくことになります(図5)。この外皮は、マイヤースが言っているダブル(複体)の“ハスク”に相当します。

もし、この幽質の外皮が拭えないと“自縛霊”になり、いつまでも地上臭を持ち続けることになります。実際は、自分自身の意志が外皮を脱ぐことを阻害しているのです。)

【図4】 地上人の睡眠中の身体状態

【図5】 死後の霊体と幽質接合体の分離

普通は死の自覚とともに、幽質の外皮は自動的に脱げ落ちるようになり、純粋な霊体だけの存在になって、新たな霊界での生活を始めることになります。

この幽質の外皮(接合体の遺物)が霊体から分離されるプロセスは、まさに文字どおり「古い衣を脱ぎ捨てる」のと同じ状況になっています。あるいは「さなぎが蝶に脱皮する」状態にたとえることもできます。

脱ぎ捨てられた接合体の遺物(幽質外皮)は、時間とともに分解していきます。しかし、もとの持ち主である“霊”が、何らかの意識を向け、霊的エネルギーを注ぎ込むようになると、捨てられた遺物が操り人形のように活動を始めるようになります。これが霊視能力のある人には“幽霊”として認識されることになります。

一般に“幽霊”と言われるものには、2つのケースがあります。一つはここで取り上げた、幽質外皮がリモートコントロールされたような状態で動き回るというものです。

もう一つのケースは、低級霊・自縛霊が、地上人から霊的エネルギーを奪って物質化したものです。

高級霊の「仮の霊的身体」の着脱

これ以外にもう一つ、「霊体を脱ぎ捨てる」という言葉がピッタリのケースがあります。高級霊は、高級霊界から仕事のためにわざわざ地上圏に降りてくることがあります。シルバーバーチをはじめとする多くの高級霊達は、スピリチュアリズムの大事業推進のために、本来の高い霊界から地上圏の霊界に降り、活発に活動しています。

その際、一時的にその界層に見合った「仮の幽質外皮」を身にまとうことになります。地上圏に身を置くためには、その界層の幽質を素材として仮の身体をつくり上げ、それを身につけることが必要となるのです。そして再び本来の高い世界に戻るときには、その仮の外皮(幽質衣・幽質身体)を脱ぐことになります(図6)。まるで地上人がコートを脱ぐように、「幽質衣(幽質身体)を脱ぎ捨てる」のです。そしてまた地上圏の霊界に降りてくるときには、以前脱ぎ捨てておいた幽質外皮を身にまといます。

【図6】 高級霊の仮の霊的身体の着脱

シルバーバーチは、年2回の高級霊界での大集会に参加するために、地上圏との間を往復していました。その度ごとに、こうした「仮の幽質身体」を脱いだり着たりしていたのです。高級霊界の集会に参加するときには、それを脱ぎ捨て、本来の自分の身体状態になって上昇することになります。その際、脱ぎ捨てた「幽質の衣(仮の身体)」には、意識を残し分解しないようにすると言っています。

それは丁度、肉体の死後、霊体から脱ぎ落とされた幽質外皮が、意識エネルギーを投射されることによってしばらくの間、分解を免れる状況と似ています。遺物となった幽質外皮に意識エネルギーが与えられ、ある種の操り人形・幽霊が出現することになりますが、それと同じようなことが、さらに上層の霊界においても行われているのです。

スピリチュアル・ヒーリングの理論化には、「正しい霊的身体観」が不可欠

スピリチュアル・ヒーリングは、間違いなくこれからの医学(ホリスティック医学)の中心的立場に立つようになります。スピリチュアル・ヒーリングがそうした立場を確立するためには、スピリチュアル・ヒーリングを含めた明確な「医学モデル・医学理論」の確立が必要となります。

ホリスティック医学が、医学理論を確立する際に最も議論の対象となるのが――「霊の問題を、いかに明確な形で医学の中に組み込むか?」ということです。人間は霊性・精神性・身体性の3次元的要素から成り立つ存在である以上、ホリスティック(総合・全体)的な医学理論の中には当然、霊的なもの・霊的要素が含まれなければなりません。そしてそれについて重要な手がかりを与えることができるのがスピリチュアル・ヒーリングなのです。

これまでも、一部の研究者や医師達によって、ホリスティック医学の総合的な理論化の試みがなされてきました。その中で、米国人医師リチャード・ガーバーによる新しいホリスティック医学モデルは、「バイブレーショナル・メディスン(波動医学)」として知られ、現在における最も進んだホリスティック医学モデルの一つとして評価されています。

リチャード・ガーバーは、神智学の「多重身体論」を導入して、意欲的に、そして大胆に総合的な医学理論の確立を目指してきました。彼は、多次元にわたって存在する複数の身体とそこを流れるエネルギーを土台として、健康観・病気観・治療観をつくり上げてきました。それと同時に、これまで存在してきたさまざまな民間療法を、自らの治療メカニズムの観点から解説し、あらゆる治療法がバイブレーショナル・メディスンの中に位置づけされることを証明しようとしました。このようにして彼は、壮大な医学モデルをつくり上げました。

しかし、そうした彼の総合的な医学モデルも、スピリチュアリズムの観点から見れば、残念ながらそのすべてが空論に過ぎないことになります。それは彼が、神智学の霊的身体論を理論体系化の前提とし、理論展開上の出発としているからです。間違った土台の上に築かれた理論は、いかに壮大な理論体系であっても、すべて事実から懸け離れたものとなってしまいます。前提とした身体観が間違っていたために、せっかくの労作も、すべてが空論となってしまいました。

これからのホリスティック医学には、スピリチュアル・ヒーリングという実践と、それを理論化したモデルが必要となってきます。そのためにはスピリチュアリズムの正確な身体観の理解が、何よりもまず不可欠なものとなるのです。今後のホリスティック医学の発展のために――「スピリチュアリズムの身体観」を土台とした医学モデルづくりが、早急に求められることになるのです。

2.“チャクラ”についての誤解

「チャクラ思想」の影響

チャクラは、古代インド思想(ウパニシャッド)や、それを踏襲する神智学における重要な概念です。チャクラは微細身という不可視の身体上にある霊的中枢で、皿状の渦巻き形態をしているとされ、これが回転することによって、プラナーというエネルギーを出し入れすると言われています。また瞑想時にチャクラに意識を集中することによってチャクラが開発され、超能力が身につくとも言われています。

チャクラを巡っては諸説があり、その数にしても6つから9つといったように、さまざまな解釈が入り乱れています。チャクラの数については、現在では一般的に7つと考えられています。精神世界や神秘主義、あるいはニューエイジでは、チャクラの存在は常識のように思われています。また超能力の開発といえばチャクラと瞑想がすぐに取り上げられるほど、人々の間に浸透しています。

この“チャクラ”は、これまで見てきた複数の霊的身体論と同じく、現在のスピリチュアリストの中に大きな影響を及ぼしています。チャクラの存在を無条件に正しいものとして受け入れるような傾向が見られ、スピリチュアリズム関連の書物には、たびたびチャクラの解説が掲載されます。また海外のスピリチュアリズム関連機関での霊能開発セミナーでも、チャクラの存在が当たり前のこととして取り上げられ、チャクラについて学び、チャクラを意識した瞑想が取り入れられています。現在の多くのスピリチュアリストは、「チャクラ思想」に洗脳されていると言えるでしょう。

“チャクラ”に否定的なシルバーバーチ

神智学で言うような“チャクラ”という霊的中枢器官が現実に存在するものならば、スピリチュアリストがそれを信じたとしても何の問題もありません。

シルバーバーチには、ありとあらゆる難問が寄せられています。そしてシルバーバーチは、その一つ一つの質問に誠意をもって答えています。これまで寄せられた多くの質問内容が多岐にわたることを考えると、当然のこととしてチャクラについても何らかの説明があるのではないかと思われます。チャクラについては霊的能力との深い係わりが指摘されている以上、シルバーバーチがこの問題に触れないはずはないと思われます。シルバーバーチは、霊体やシルバーコードなど霊的事実について詳細に、しかも何度も繰り返して述べています。

ところが膨大な量に上る『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラに関する説明は、全くといってよいほど見当たらないのです。

そうした中で唯一、シルバーバーチの“チャクラ”に対する考え方を窺い知ることができる発言が残されています。有名な英国の女性霊能者ドリス・ストークがシルバーバーチの交霊会に招待された折に語られたものです。その席でシルバーバーチは、チャクラについて次のような見解を述べています。

「伝統的ということは古くさいということを意味し、進歩がないということの証明でもあります。たとえばチャクラについて説くことは必ずしも必要とは考えません。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)  p.55

これによるとシルバーバーチは、チャクラについての世間一般の姿勢に対して、明確な否定的立場を取っていることが分かります。チャクラを意識した伝統的な霊的能力開発の方法に対して、シルバーバーチは明確な批判的態度を示しているのです。もしチャクラについての従来の見解が正しいものなら、あるいはチャクラの開発が霊能力獲得に本当に効果があるのなら、シルバーバーチがわざわざここまで否定的な見解を述べることはなかったでしょう。

シルバーバーチ以外の通信霊で、人間の霊的身体について詳細で分析的説明を身上としていたのがマイヤース霊です。このマイヤースからの通信にも、不思議なことにチャクラについて言及した箇所が見当たらないのです。ダブルや神経魂などの極めて細部にわたる霊的身体の観察の中に、チャクラに関係する内容が見つからないのです。

こうした状況をどのように考えるべきでしょうか。結論を言えば、“チャクラ”というタントラ・ヨーガや神智学で言われてきたような独立した霊的器官は、もともと実在しないということなのです。霊的事実に対して、常に詳細な説明を心がけているシルバーバーチやマイヤースの霊界通信にそうした記述が見られないということは、チャクラそのものが存在しないからなのです。

“チャクラ”とは、霊体と肉体の接合点

とは言っても、『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラを連想させるような記述が全くないというわけではありません。例えば――「いにしえの賢人が指摘している“第3の目”とか“太陽神経叢”などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一(link up)する場なのです」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.39)とか、「そこから(ヒーラーのエネルギーが)患者の松果体ないしは太陽神経叢を通って体内に流れ込みます」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.40)といったようなことが述べられています。

第3の目とか太陽神経叢は、位置的にはチャクラと一致します。しかしこれは、チャクラという独立器官の存在を示唆するものではなく、従来“チャクラ”と言われてきたものが、実は霊体と肉体の接合点を、地上サイドから観察したものであることを意味しているのです。この接点を通って霊体から肉体へ霊的エネルギーが流れ込み、反対に肉体から霊体へもエネルギーが入っていくことになります。この接点は、先に述べた霊体と肉体を連結する「幽質接合体」に存在します(図7)。

【図7】

接点を通って霊体から多くの霊的エネルギーが肉体に流れ込むとき、その接点の状況を霊的視力で見ると、まるで一つの器官が活発に活動しているように見えます。そこからエネルギーがほとばしって流れ込んでくるように見えるのです。こうして大量の霊的エネルギーが肉体に流れ込むことにより、霊体に備わっている能力が肉体を通じて部分的に発現されるようになります。これがチャクラ開発にともなう超能力の発現なのです。

睡眠中など、幽体が肉体から離脱する時、シルバーコードによって2つの身体が結ばれています。その際、特別太い2本のシルバーコードがあります(図8)。

【図8】

一つが霊体と肉体の頭部第3の目の部分)を結ぶもの、もう一つが霊体と肉体の腹部太陽神経叢の部分)を結ぶものです。霊体と肉体は、シルバーコードによって分離中もエネルギーの交換をしています。これは“チャクラ”が、霊体と肉体のエネルギーの通路となる接点のことであり、霊体と肉体が分離するときには両者を結ぶシルバーコードになることを示しています。

霊的なエネルギーを接合部に集中的に投射することによって、いっとき接合部が拡大し、急激に超能力を持つようなことが起こります。またドラッグなどの薬物によっても、部分的に接合部が広げられ、霊通するなどの現象が生じることがあります。言うまでもなく、こうした形での霊能力開発は邪道であり、“低級霊”のいいオモチャにされることになります。

Misconceptions about spiritual bodies and chakras

1. Misconceptions about the spiritual body
The four soul theory of old Shinto and the physical view of Shinchi studies

One of the most often misunderstood problems in spiritualism today is the view of the human spiritual body. In “Old Shinto,” the human body composition is explained by the “four-soul theory”, but there are people who think that this four-soul theory is consistent with the body view of spiritualism. The rough soul (Aramita), the Japanese soul (Nigimitama), the soul of luck (Sakimitama), and the odd soul (Kushimitama) of the four soul theory are the body, ghost, spiritual body, and body It is said that it corresponds to. In the four soul theory, there are three spiritual bodies in addition to the physical body, but it is well known that Kasaburo Asano claimed this four soul theory. The influence of Kasaburo Asano has been inherited in the current spiritualism of Japan.

Also, some spiritualists still believe in the physical view of “theosophy”. In the theosophy, it is assumed that there are multiple spiritual bodies other than the physical body, such as the ether body, the astral body, the mental body, and the causal body, which overlap with the physical body. It is said that different “aura” are emitted from the “multidimensional body”.

* Furthermore, R. Steiner came out of Theosophy and created another view of the body. Like Steinology, Steiner also preaches a multidimensional view of the body. In addition to the physical body, Steiner insists on the existence of spiritual bodies such as the ether body and the astral body, but they use the same name as the theosophy, but are different in content.

In addition to this, various religions preach a unique view of the body.

At first glance, “Theological view of the theosophy” and “Body view of spiritualism” are similar…

It is the theosophical view of the body that affects the most of these spiritualists, causing misunderstanding and confusion. In the books related to spiritualism, the theosophical “multi-body view” is sometimes taken up and explained. The theosophical view of the body is unconditionally introduced as correct. As a result, many spiritualists have come to the illusion that the spiritualistic view of the body and the theosophical view of the body are the same.

The important conclusion is that the theological views of theology and ancient Shintoism and the spiritualism (*especially Silver Birch’s view of body) seem to be similar at first glance. Is that there is. Clarifying this difference leads to a deeper understanding of spiritualism.

In the following, I will use the explanation of Silver Birch as a clue to see the correct physical view of spiritualism.

Relationship between “spiritual world” and “spiritual body”

The body is one of the forms of expression for the human “spirit” that is the spirit of God. The body is a unique form of expression for the intangible spirit called spirit, and if the spirit is a seed, it is thought to be the fruit that wraps it. There are two types of bodies for terrestrials, and as we already know, the spiritual body and the physical body correspond to that. It is common knowledge in spiritualism that the body used in the post-mortem world is a spirit body. It must be wondering what more needs to be said about the spiritual body, but this view of the “spiritual body” is causing misunderstanding and confusion among many present-day spiritualists.

Everyone who has learned spiritualism knows that the world after death (the spiritual world) is made up of various world layers. The spirit world is made up of many world layers with different vibrations. And in each layer, the spirits who have achieved the spiritual growth suitable for the world live. In other words, the spirits that have evolved spiritually live in the higher world, and the spirits that have a lower degree of spiritual evolution live in the lower layers of the spirit world, so that there is a clear segregation. The spiritual body of the higher spirits has a subtle vibration that matches the higher world, and the spiritual body of the lower spirits has a rougher vibration that matches the lower world.

Now, in the post-mortem world of the spirit world, some say that the spirit world is largely made up of three world layers and another is made up of seven world layers. Others say that it is made up of nine layers. The most believed of these is the view that it is made up of seven layers. Myers and imperators say that the world consists of seven layers, including the physical world, and theology also comprises seven layers.

* Strictly speaking, the imperator says that the world is divided into three, and each world consists of seven layers. And the earth is the world at the top of the seven world layers at the bottom. In other words, assuming that there are two worlds, including seven more, above the world where the earth is located, we assume a total of 21 world layers.

Conan Doyle also describes the existence of ten post-death world layers, saying that there are three world layers, a ghost world, a spirit world, a god world, and a transcendental world.

The spiritual body used in the spirit world is considered to be a body made of a material compatible with each layer of the world. So if you have 4 layers of the world you need 4 different spiritual bodies, if you have 7 layers of the world you need 7 different spiritual bodies. These views feel like a very theoretical and coherent explanation. In fact, most spiritualists think so. But there is a big contradiction in this view.

The spirit world is a world with gradational changes

The question here is whether each boundary layer in different states is clearly separated or has a clear boundary. The seven layers of layers usually tend to give the image of seven separate layers, stacked one on top of the other. Imagine a state in which the layers are geographically layered, such as the larger Baumkuchen. Many people unconsciously think that there are divisions in these seven layers.

On the other hand, many spiritual communications related to spiritualism say that the boundaries between layers are not clear. Even if there are seven worlds, it is said that the upper and lower layers of the world are mixed and continuous like a rainbow. “There is no clear boundary between the upper and lower boundary layers, but overall there are divisions such that the rainbow consists of seven colors,” he says.

Spiritualism uses the word “boundary layer”, but it is used for convenience only forever. The reality is that-“the spirit world is one world, and that is a gradationally changing state.” Silver Birch clarified:

“Some people say that the spirit world is divided into seven worlds, but it’s not like that, but they are all fused together.”

“Silver Birch Spiritual Lecture (8)” (Toshibunsha) p.95

“I don’t know that “seven worlds”. I don’t know the numbered worlds from 1 to 7. I know that there is only one world. And that means it’s an infinite hierarchy.”

“Ancient Spirit Silver Birch Last Revelation” (Heart Publishing) p.51-52

A spirit body is a body that undergoes gradational changes

If we call the fields of different states in the spirit world the world layers, it means that the spirit world with gradational changes consists of innumerable world layers. It is not like three, seven or nine, but that there are innumerable layers of boundaries. In the myriad layers of the world, spirits of a spiritual level commensurate with it live. So far, you should be aware of the contradiction of the idea that humans have three spirit bodies and seven spirit bodies.

If the spirit world is a world with a myriad of gradational changes, the human spiritual bodies that live there must also undergo a myriad of gradational changes. The human spiritual body can adapt to infinite changes in the spirit world only after infinite changes. This is the number one principle and most important point when thinking about the spiritual body. The point is that there are not multiple human spirit bodies such as three or seven—it is one body that changes in gradation.

That said, there is a point where Silver Birch himself says that humans have many bodies, and that after death they take off them-“You have many bodies. (“Silver Birch Spiritual Training (8)” (Toshibunsha) p.104)

If we take this literally, the view of silver birch’s body will be the same as that of the theosophy or the ancient Shintoism. However, “Silver Birch’s spiritual lesson” is a big misunderstanding when only a few words are swallowed, as was the case when understanding the view of God. You must make a total judgment, including other explanations. This is exactly the case again.

We have to pay attention to another word from Silver Birch: “You are always expressing your ego with a body that fits your spirituality at the time. The body follows such a process. It continues indefinitely.” (“Silver Birch’s Spiritual Lessons (8)” (Shiobunsha) p.104) “There is a series of bodies, which are astral ethers. It’s called the No., but it’s also a manifestation of one spirit. Don’t be confused by the terminology” (“Silver Birch Spiritual Lessons (8)” (Shioubunsha) p.106. )

Silver birch does not affirm the existence of multiple independent bodies such as three or seven.

What is the true meaning of the word “strike off the old spiritual body”?

Silver Birch says: “And if it evolves further, it will be stripped off like an insect,” (Silver Birch’s Spirit (8) (Shiobunsha) p.104). If you accept this word as it is, in the spirit world, you will take away the old spirit body as you spiritually evolve and wear the new spirit body and go to the next world layer.

If you do not understand the basic principle that the spiritual body will change in various ways, it will be confused by Silver Birch’s expression of “getting off the spiritual body”, and here again a big misunderstanding Will end up doing In order to understand the true meaning of Silver Birch’s word “throw away the old spiritual body”, it is necessary to know the following explanations correctly.

“It grows naturally and evolves naturally. It gives up its place to elements with a low degree of highness. It dies and is born again and again. It is not lost in the same process as the death of the. It is purified and becomes subtle as the low-grade ones disappear. It is the death of the ghost. Death is change and resurrection in the first place. , From low to high.”

“Silver Birch Spirit (4)” (Shiobunsha) p.128 (* Underlined by the author)

* On page 218 of Heart Publishing, “The Immortal Truth,” it says: “Humans have many spiritual bodies.” This original text is “You have bodies.” and should be considered as two bodies, a spiritual body and a physical body, from the context. It is a clear mistranslation to make it a number of spirit bodies.

The exact same original text is on page 195, line 2 of Shiobunsha’s “Silver Birch’s Spiritual Training (3)”-“It has several bodies.” Here is the correct translation.

The difference between “body death” and “ghost death”

Here, “Silver Birch Spiritual Lessons (4)” p.128, explains “Death of the Ghost”. Silver Birch clearly states that “dead death” is different from “dead body.”

First of all, it is “the death of the body”. Needless to say, this is because the spiritual body is “the physical body (cloth)

死後も生きつづける幽体(アストラル体)  An astral body that remains alive after death

仏陀の成仏法と霊魂

死後も生きつづける幽体(アストラル体)

アメリカ・ジョージア州立大学哲学科のロバート・アルメダー教授は、その著書『死後の生命』(TBSブリタニカ)の「まえがき」と「本文」において、つぎのように述べています。
『私たちは今や、死後にもなんらかの生命が存在するという考え方を強力に裏づける、事実に基づいた一連の証拠を手にしている』
(まえがきより)
『以上のように考えると、あらゆる人間は、“幽体”(すなわち、ある種の状況以外では肉眼には見えない物質類似の希薄な要素からなる第二の体)を持っているという、霊能力者がしばしば行う主張がある程度真実味を帯びてくる。
この第二の体は、形状的には肉体と瓜二つで、肉体の死後も存在を続けるとされている』
(本文より)
では、仏教では、どのように考えているのでしょうか。

仏教では、人間は、色〈しき〉(物質)・受〈じゅ〉(感覚)・想〈そう〉(表象)・行〈ぎょう〉(意志)・識〈しき〉(意識)の五つの要素からできていると考えます。この五つの要素を「五蘊(ごうん)」と呼び、この五蘊が仮に寄り集まって人間(自我・霊魂)ができあがっているのです。
では、人間が死んだらどうなるのでしょうか?
日本の仏教者の大半は、釈尊が「霊魂」の存在を否定してしまったと考えています。つまり、死んだらすべてが消滅すると考えているのですが、これはまちがいです。
死んだらすべてが消滅してしまうという考え方は仏教ではありません。釈尊直説の経典である『阿含経』を学び修行していないから、このような誤った見解を抱いているのです。
釈尊は決して、霊魂の存在を否定しておられません。むしろ肯定しておられます。ただし、「霊魂」という名称ではなく、「異蘊(いうん)」という表現を用いておられます。

凡夫が死んで「五蘊」が滅しても我執(タンハー)のエネルギーによって「異蘊」(異なる構成要素)を生じて存在をつづけます。

 雑阿含経の中の「仙尼経」において、釈尊は次のように説かれております。
慢〈まん〉(我執〈がしゅう〉)断(だん)ぜざるがゆえに、この蘊〈うん〉を捨て已(おわ〉りて(死んで) 異蘊〈いうん〉相続して生ず。
つまり、異蘊とは生きている人間の構成要素(五蘊=色・受・想・行・識)とは異なった構成要素(蘊=集積)という意味で、現代風にいえば「異次元の薀(存在)」ということです。
また、雑阿含経「身命経」においても、「意生身(いしょうしん)」ということばで、死後の存在を説かれております。意生身とは意識(心)だけで出来た身体をいいます。
このように釈尊は、人間は死んでも、我執煩悩(タンハー)が残るかぎり「なにか(異蘊・意生身)」が存在をつづけると説かれております。この死後の存在こそが霊魂なのです。
そして我執(タンハー)が残った霊魂は、死後の世界を経て再生し、現世で成仏法の縁に逢わなければ、果てしなく輪廻転生を続けます。
また、この我執が非常に強い場合は、不成仏霊や霊障のホトケとなって迷い、その怨念のバイブレーションが子孫の心に強く悪影響をおよぼします。

サールナートの仏陀像
 釈尊は、古代インドのバラモンが説いた「永遠に変化することも滅することもない自我(アートマン)(霊魂)」という考えは否定しておられますが、
縁によって生じ、縁によって滅するという「縁起の法」の上での「死後の存在」は認められております。
つまり、「永劫不変の自我(アートマン)」というものは存在しませんが、「無常(変化)の中や縁起において成立する自己(アートマン)」はあるのです。
修行によって向上し、涅槃(ニルヴァーナ)に入る「自我(霊魂)」は存在するのです。
「不変」ではなく縁によって「変化」するために、死んで(その霊魂・霊体が)異蘊となる縁に逢えば、異蘊となって輪廻転生し、成仏法の縁に逢えば、解脱して仏界に生ずるのです。
死んだからといってまったく「無」になって消滅してしまうというのは、仏陀の説かれた縁起の法則に反するものです。

修行によって霊体(生者)は、清められ、高められ、しだいに悪因、悪業から解脱してゆきます。
「シュダオン」「シダゴン」「アナゴン」という聖者の段階を経て、究極の大聖者「アラハン」(仏陀)に到達します。
この世において、仏陀に到達できない場合は、つぎの世においても、ひきつづき成仏法の修行を続け、究極的にはかならず仏陀になるのです。
死者の場合は、自分で修行することはできませんから、成仏法を成就した聖者に、成仏法をもって供養していただきます。
つよい怨念や執念によって不成仏霊となり霊障を発し、迷っているホトケは、聖者の発する悟りのバイブレーションを受けて解脱し成仏します。
ただし、この場合の成仏とは、完全に因縁・業煩悩といったものを解脱したという意味ではありません。
成仏法を成就した聖者( 有余依涅槃(うよえねはん)の聖者)の霊的テレパシー(霊力)によって、聖者の悟りをそのまま受け止めて、迷い執念などを離れて、冥界(死者のほんとうの世界=安らぎの場)へ向かうということです。
これが、仏陀釈尊の教えられた「仏法」です。

 


死者たちの怨念が、すべての人の深層意識を動かす

いま、この世界が壊滅の危機に瀕しているのは、この世界に充ち満ちている死者の怨念、悪念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしているためです。
その結果、人類はますます衝動的、闘争的、反道徳的になり、結果的に自分自身を虐殺しようとしつつあります。
まず、家庭が崩壊しはじめています。
これらの苦しみに満ちた死者の霊魂に全き安らぎを与えないかぎり、生きている人間に全き安らぎは訪れません。
仏陀釈尊の成仏法は、これらの苦しみを持ったまま死後生存している存在(霊魂)に安らぎをあたえ救済する力を持っているのです。

Buddha’s Buddhist Law and Spirit

An astral body that remains alive after death

Professor Robert Almeder of the Department of Philosophy, Georgia State University, in his book “Life after Death” (TBS Britannica), wrote in the “Foreword” and “Text”:
“We now have a body of evidence-based evidence that strongly supports the idea that there is some life after death.”
(From the preface)
“Thinking above, every human being has a “ghost” (ie, a second body consisting of a dilute element that resembles a substance that is invisible to the naked eye except in certain circumstances). The assertions often made by abilities have a certain degree of realism.
This second body is a body and a gourd in shape, and is said to continue to exist even after the body’s death.”
(From the text)
Then, what do you think in Buddhism?

In Buddhism, human beings have five elements: color (material), receiving (ju) (sense), thought (so) (representation), line (gyo) (will), and knowledge (consciousness). I think it is made of. These five elements are called “Go”, and these five elements temporarily gather to form a human being (ego, soul).
But what if a human dies?
Most Buddhists in Japan believe that Buddha has denied the existence of a “spirit.” In other words, I think that when I die, everything disappears, but this is wrong.
Buddhism is not the idea that everything will disappear when you die. He has such a false view because he has not learned and practiced the scripture of the Buddha’s Buddhist theory, “Agukkei.”
Buddha never denied the existence of souls. I am rather affirmative. However, instead of the name “soul”, the expression “unidentified” is used.

Even if the ordinary husband dies and the “five” disappears, the energy of tanha creates a “different” (different components) and continues to exist.

The Buddha is explained as follows in the “Sen’an Sutra” in the Zoua Sutra.
Because of the pride, I abandoned this (yes) because I had no choice but to die (dead).
In other words, the alien substance means a component (蘊=aggregation) that is different from a living human component (five colors=color, reception, thought, behavior, knowledge). It means that it is a “existence”.
In addition, the word “Ishoshin” is also used to describe the existence after death in the Zhao Sutra Sutra. Involuntary body refers to a body made up only of consciousness (mind).
In this way, Buddha is said to have “something (anomaly, will)” as long as humans die, but as long as the anguish remains (tanha). This being after death is the soul.
And the soul with the remaining tanha regenerates after the death, and if it does not meet the edge of the Buddhist law in this world, it will continue to reincarnate indefinitely.
In addition, when this patience is very strong, it becomes a ghost of imperfect Buddha spirits and spiritual disorders, and the vibration of that remorse strongly affects the hearts of descendants.

Buddha statue in Sarnath
Shakyamuni denies the idea of ​​”an ego (artman) (soul)” that Brahmin of ancient India preached, but that will never change or die.
The “post-mortem” of the “law of auspices” that is caused by the edge and destroyed by the edge is recognized.
In other words, there is no such thing as an “eternally immutable ego (artman),” but there is an “ego (artman) that is established in a state of invariance (change) or auspicious occasions.”
There is an “ego (soul)” that improves through training and enters Nirvana.
In order to “change” not by “immutability” but by the edge, if you meet the edge that becomes dead (the soul or spiritual body) becomes strange, you become a stranger and reincarnate, and if you meet the edge of the Buddhist Law, It is released and it occurs in the French world.
It is contrary to the Buddha’s preaching law of auspiciousness that the death of a dead person means that it disappears completely.

..
As a result of the training, the spiritual body (living person) will be purified and enhanced, and will gradually be freed from the cause of evil and the bad work.
Through the stages of saints such as “Shudaon”, “Sidagon” and “Anagon”, the ultimate saint “Arahan” (Buddha) is reached.
If you cannot reach the Buddha in this world, you will continue to practice the Buddhist law in the next world, and you will eventually become a Buddha.
If you are a dead person, you will not be able to practice by yourself, so you will have to sacrifice the holy person who has fulfilled the law.
Stiff grudges and obsessions cause a spiritual disorder in the Buddhist spirit of the Buddhist Buddha, and he is astounded and receives liberation from the enlightenment of the saints and breaks into Buddha.
However, in this case, Seibutsu does not mean that we have completely eliminated the cause and labor trouble.
By the spiritual telepathy (spiritual power) of the saints who have fulfilled the Buddhist law (Saints of Uyoenehan), they take the enlightenment of the saints as they are, leave the lost obsession and leave the underworld (the true meaning of the dead It means that we are heading for the world of peace.
This is the Buddhist law taught by Buddha Shakyamuni.

 

The grudges of the dead drive deep consciousness for all

The reason why this world is in danger of destruction now is that the violence of the vengeance and wickedness of the dead, which is full of this world, moves the deep consciousness of all people.
As a result, mankind has become increasingly impulsive, fighting, and immoral, and is eventually trying to slaughter himself.
First, the home is beginning to collapse.
Unless we give the souls of these suffering souls full peace, no living peace will come to living humans.
The Buddhist Buddha’s Buddhist law has the power to provide peace and relief to those who survive after death with these sufferings (souls).

悟りの段階 -1 Enlightenment Stage -1

 

純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)

真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。

方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

 

真我は、常に実在として存在しています。ただ、一般の人では、無知の曇 (くもり) で覆い隠されています。

 

、無知の曇 (くもり) を消していきます。無知の曇 (くもり) が消えるほどに、真我の光と愛が自然に現れます

 

つの果得 (定) を、「向 (進み入る段階) 」と「果 (成就した段階) 」に分けています。向と果の名称が同じで、八種の段階にある人という意味で、八種の段階のことを、四双八輩 (しそうはっぱい) と言います。

 

無知の曇 (くもり) を払う

悟りへと至る道は、シンプルです。

真我は、常に実在として存在している。(注:真我は、すでに実現している。という事です。) という事実を受け入れます。

真我を実現するためには、自己受容が大事です。神を受け入れるためには、まず、自己を受け入れます。

 

真我実現は、今すでに得ているもの (実在として在るもの) を無知の曇 (くもり) を払うことで、「この自分が知覚している世界」へ現す作業です。

 

 

Pure Heart-1.

The truth is simple. The knowledge of Jignani is also simple. Get knowledge of Jignani, meditate, and ponder. Awareness will occur and understanding will deepen.

In a way, it rewrites unconscious assumptions and beliefs (feelings and thoughts of attachment and aggression). In this way, you will become confident and confident by repeating small successful experiences.

Self is always a reality. However, for the average person, it is covered with clouds of ignorance.

, I will remove the cloud of ignorance. The light and love of ego naturally appear so that the cloudiness of ignorance disappears

The two outcomes (constant) are divided into “progress (advancing stage)” and “perspective (fulfilling stage)”. The eight kinds of stages are called Shiso Happai, in the sense that they have the same names for Ko and Hana and are in eight kinds of stages.

Pay the cloud of ignorance

The road to enlightenment is simple.

The self always exists as a reality. (Note: I have already realized that.) I accept the fact.

Self-acceptance is important for realizing the self. To accept God, first accept yourself.

Realization is the work of revealing what you already have (what you really have) to the “world you perceive” by paying the cloud of ignorance.

 

悟りの段階は4つの段階がある  Shika Yohka: There are four stages of enlightenment 

四向四果

 

四向四果(しこうしか)

「四向・しこう」修業する四段階(向かう人)
「四果・しか」悟りの深さの四段階の境地(果たした人)
「四双八輩・しそうはちはい」とも呼ばれています。

ブッタ滅後にさとりの修習に応じて四段階に整備され、
「それに向かう人」「それを果たした人」の八種に分類された思想です。

4、阿羅漢果(あらかんか)

  • 「究極のさとりへ到達した人、供養されるべき人」(無学・むがく)
  • 「五上分結、五下分結を断じた人」
  • 「煩悩を滅した心解脱(しんげだつ)、四諦(したい)をみて解脱した慧解脱(えげだつ)、両方の倶分解脱(ぐぶんげだつ)した人」
  • 「漏尽智(ろじんち)煩悩を滅した人」
  • 「応供・おうぐ」とも呼ばれています。

「五上分結・ごじょうぶんけつ」
色界と無色界に人を結びつけて
解脱させない
上位の束縛のこと。

1、色貪(しきとん)
2、無色貪(むしきとん)
3、掉挙(じょうこ)
4、慢(まん)
5、無明(むみょう)

「五下分結・ごげぶんけつ」
三界(欲界)
に人を結びつける5つの束縛のこと

1、有身見(うしんけん)
2、疑(ぎ)
3、戒禁取(かいごんしゅ)
4、貪欲(とんよく)
5、瞋恚(しんに)

 

3、不還果(ふかんか)

  • 「再びこの世界に戻ることなく、天界でさとりの境地に到達する人」
  • 五下分結を滅ぼし化生者(かせいしゃ)となり色界の浄居天(じょういてん)となり、滅後、涅槃に至る人です。
  • 「阿那含・あなごん」とも呼ばれています。

それに向かう人は「不還向・ふかんこう」です。

生き物の生まれ方の四種類

1、胎生・・・おなかに宿り生まれてくる
2、卵生・・・たまごから生まれてくる
3、湿生・・・苔など湿気からうまれてくる
4、化生・・・何もない所から忽然(こつぜん)として天界や地獄に生まれてくる。

2、一来果 (いちらいか)

  • 「天界と人間界とを一度だけ転生して、さとりの境地に達する人」
  • 三結を滅ぼし貪欲、瞋恚薄い人
  • 「斯陀含・しだごん」とも呼ばれています。

それに向かう人は「一来向・いちらいこう」です。

1、預流果(よるか)

流果(るか)は「さとりの流れに到達する」意味です。

  • 「この境地に到れば、それ以前の俗世の世界に退堕(たいだ)することなく、人間界と天界を7回転生している間に修業が進み、さとりの境地に到達する人」
  • 「極七返有・ごくしちぽんぬ」「極七返生・ごくしちぽんしょう」ともよばれます。

預流果(よるか)は三結(有身見・疑・戒禁取)を完全に断滅した人です。

「三結・さんけつ」は「五下分結・ごげぶんけつ」
の3つの束縛のこと

1、有身見(うしんけん)
2、疑(ぎ)
3、戒禁取(かいごんしゅ)
4、貪欲(とんよく)
5、瞋恚(しんに)

「須陀含・しゅだおん」とも呼ばれています。

目連
預流果以上の俗世の世界を超えた人を「出世間・しゅつせけん」で「聖者・せいじゃ」と呼び、それ以下の人は「世間・せけん」で「凡夫・ぼんぷ」と呼びますよ。ポンッ!

それに向かう人は「預流向・よるこう」です。

サーリプッタ
サーリプッタ
法眼(ほうがん)とは論理的に四諦(したい)の理解を得て、預流向になることじゃ!!!
『四諦』が大事なのがだんだんわかってきたかな?また語るぞ!ニヤリ!

さらに10段階に分けられる

悟りの段階 -10

悟りの段階 -10 純粋な心-8. 阿羅漢果 (アラカンカ)  阿羅漢果 (アラカンカ) とは、無になったもの。無になったものとは、一つを体現して、沈黙へ入ったもの。 I_Am_That-30. You are Free…続きを読む

悟りの段階 -9

悟りの段階 -9 純粋な心-7. 阿羅漢向 (アラカンコウ) I_Am_That-30 より抜粋 マハラジ:生きる存在 (生き物) であることは、究極の状態ではありません。 それ以上のもの、はるかに素晴らしいものがあるの…続きを読む

悟りの段階 -8

悟りの段階 -8 純粋な心-6. 不還果 (フゲンカ)  執着と険悪は、記憶から来ています。 全ては、一つである。自分の意識の中に、すべての個人がいる。と理解します。 私が在るから、この世界がある。と理解します。 「執着…続きを読む

悟りの段階 -7

悟りの段階 -7 純粋な心-5. 不還向 (フゲンコウ)  根本仏教は、「心を浄める」教えであり、実践である。  一来果になると、欲と怒りがなくなります。肉体と心に対して執着が減ると、その分、怒りと欲が減っていきます。不…続きを読む

悟りの段階 -6

悟りの段階 -6 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)-2  一来果でなくなるのは、「欲と怒り」です。一来果は、「執着と険悪がとれたもの」です。自分の「執着と険悪」の動機を探ります。  「あなたが動機の中に入っていけば…続きを読む

悟りの段階 -5

悟りの段階 -5 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)  願望を実現するために、潜在意識を活用する方法は、数多くあります。輪廻転生を止めるための方法は、真我を実現する悟りの段階に入ることです。  「宇宙の覇者 (王) …続きを読む

悟りの段階 -4

悟りの段階 -4 純粋な心-3. 一来向 (イチライコウ)  一来向 (いちらいこう) とは、須陀洹 (預流) から、斯陀含 (一来) へと向かっている者です。  一来 (いちらい、巴: sakadāgāmin サカダー…続きを読む

悟りの段階 -3

悟りの段階 -3 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-2  心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。  精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、す…続きを読む

悟りの段階 -2

悟りの段階 -2 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)  預流向 (ヨルコウ) は、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。  知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が…続きを読む

悟りの段階 -1

悟りの段階 -1 純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)  真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。 預流向 (ヨルコウ) とは…続きを読む

悟りの段階 -10

悟りの段階 -10 純粋な心-8. 阿羅漢果 (アラカンカ)  阿羅漢果 (アラカンカ) とは、無になったもの。無になったものとは、一つを体現して、沈黙へ入ったもの。 I_Am_That-30. You are Free…続きを読む

悟りの段階 -9

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悟りの段階 -8

悟りの段階 -8 純粋な心-6. 不還果 (フゲンカ)  執着と険悪は、記憶から来ています。 全ては、一つである。自分の意識の中に、すべての個人がいる。と理解します。 私が在るから、この世界がある。と理解します。 「執着…続きを読む

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悟りの段階 -7 純粋な心-5. 不還向 (フゲンコウ)  根本仏教は、「心を浄める」教えであり、実践である。  一来果になると、欲と怒りがなくなります。肉体と心に対して執着が減ると、その分、怒りと欲が減っていきます。不…続きを読む

悟りの段階 -6

悟りの段階 -6 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)-2  一来果でなくなるのは、「欲と怒り」です。一来果は、「執着と険悪がとれたもの」です。自分の「執着と険悪」の動機を探ります。  「あなたが動機の中に入っていけば…続きを読む

悟りの段階 -5

悟りの段階 -5 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)  願望を実現するために、潜在意識を活用する方法は、数多くあります。輪廻転生を止めるための方法は、真我を実現する悟りの段階に入ることです。  「宇宙の覇者 (王) …続きを読む

悟りの段階 -4

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悟りの段階 -3

悟りの段階 -3 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-2  心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。  精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、す…続きを読む

悟りの段階 -2

悟りの段階 -2 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)  預流向 (ヨルコウ) は、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。  知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が…続きを読む

悟りの段階 -1

悟りの段階 -1 純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)  真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。 預流向 (ヨルコウ) とは…続きを読む
Four four fruitsShika ShikaThe four stages of training for “Yoko and Shikou”
“Four fruits, Shika” Four levels of enlightenment (person who fulfilled)
It is also known as “Shisohachi, Shisohachihai”.After the death of Butta, it will be prepared in four stages according to Satori’s training,
It is a concept that is classified into eight types: “people who go towards it” and “people who fulfill it.”

4, Arkanka
“People who have reached the ultimate satori, people who should be memorialized” (Ignored/Mugaku)
“A person who has broken down Gojo and Gojo”
“A person who has lost his anxieties, a person who has broken out by looking at the four points (Egedatsu), and a person who has both broken down (Gubundatsu)”
“People who have lost their worries about Rojinchi”
It is also called “Ougu”.

“Gojo Junjo/Gojobunketsu”
Connecting people to the color world and the colorless world
Don’t let go
The upper bond.

1. Shikiton
2. Mushikiton
3, Jyoko
4, pride
5, invisible

“Gogebunketsu”
Three worlds (desire world)
Five bondages that connect people to

1. Real-life (Ushinken)
2, doubt
3. Prohibition (Kaigonshu)
4. Greedy
5, Shinni

3, non-returnable fruit
“A person who reaches the predicament of Satori in heaven without returning to this world again”
He is the person who destroys Goshita-no-Kai and becomes a living person (Keisha) and becomes the Jyoten of the Color World.
It is also called “Anago-Anagon”.

The person who goes to it is “irreversible.

Four types of creatures

1. Embryos… born in the stomach
2. Eggs… born from eggs
3. Wet weather… Born from moisture such as moss
4. Metamorphosis… Born in heaven and hell from nothing.

2, Ichirai Fruit
“A person who reincarnates once between the heavenly world and the human world and reaches the boundary of Satori”
A man who destroys three bonds and is greedy
It is also called “Sudagon”.

The person heading for it is “Ichikou Ichirai.”

1、Fresh fruit

Ruka means “reaching the flow of Satori”.

“A person who reaches this state before reaching the state of Satori without having to fall into the world of the secular world before that, while training seven times between the human world and the heavenly world, and training.
It is also called “Gokushikaku Return/Gokushichi Ponnu” or “Gokushikaku Return/Gokushichi Ponsho”.

Yoruka is a person who has completely destroyed Sankei (seeing, suspicion, and prohibition).

“Sanyu Sankeitsu” is “Gogebunketsu”.
Three bondages

1. Real-life (Ushinken)
2, doubt
3. Prohibition (Kaigonshu)
4. Greedy
5, Shinni

It is also called “Sudan and Shudaon”.

Eyes
Those who transcend the world of the secular world above the age of deposit are called “Saints and Seijas” in “Seize and Shutsuken,” and those below that are called “Samurai and Bonpu.” I’ll call you. Pon!

The person heading for it is “Courage flow/Yorukou”.

Sariptta
Hogan is to get the logical understanding of the four sides of the law and become a depository! !! !!
Did you gradually come to understand that “Four Lords” is important? I’ll talk again! Grinning!

Further divided into 10 stages

Enlightenment Stage -10
Enlightenment Stage -10 Pure Mind-8. Arachanka Arachanka is nothing. What is lost is one that embodies one and enters silence. I_Am_That-30. You are Free… Read more
Enlightenment Stage -9
Enlightenment Stage -9 Pure Mind-7. Extracted from I_Am_That-30 Arakankou Maharaj: Being a living being (creature) is not the ultimate state. There’s more than that and much more… Read more
Enlightenment Stage -8
Stage of Enlightenment -8 Pure Mind -6. Unreturned Fruit (Fugenka) Obsession and urgency come from memory. Everything is one. In my consciousness, there are all individuals. I understand. There is this world because I am there. I understand. “Obsession…Read more
Enlightenment Stage -7
Enlightenment Stage -7 Pure Mind -5. Irreversible (Fugenkou) Nemoto Buddhism is a “purifying the mind” teaching and practice. When it comes to fruition, greed and anger disappear. The less attached to the body and mind, the less anger and greed. Non… The continuation is read
Enlightenment Stage -6
Stage of Enlightenment -6 Pure Mind-4. Ichiraika-2: It is “greed and anger” that cease to be Iraikai. Ichirai fruit is “a thing of attachment and aggression.” Explore the motivation for your “attachment and evil”. “If you get into the motive… read more
Enlightenment Stage -5
Enlightenment Stage-5 Pure Mind-4. Ichiraika There are many ways to utilize the subconscious mind to realize the desire. The way to stop reincarnation is to enter the stage of enlightenment to realize the self. ”The universe champion (king)… Read more
Enlightenment Stage -4
Stage of Enlightenment -4 Pure Mind-3. Ichiraikou Ichiraikou is a person who is heading from Sudake (deposited flow) to Sadatsu (Ichirai). .. Ichirai (Ichirai, Tomoe: sakadāgāmin sacada… Read more
Enlightenment Stage -3
Stage of Enlightenment -3 Pure Mind -2. Outflow Fruit (Yorka) -2 Mind (mind, subconsciousness) is a bundle of memories. An individual is a creation of memory. Mental habits create the environment for that person (individual). The environment of that person (individual) is… Read more
Enlightenment Stage -2
Enlightenment Stage -2 Pure Mind -2. Defensive Fruit (Yorka) Defective Agent (Yorukou), with the knowledge of Jinani, meditates and ponders. Awareness will occur and understanding will deepen. Knowledge becomes memory. Memory becomes an experience. Understanding… Read more
Enlightenment Stage -1
Enlightenment Stage -1 Pure Mind -1. Depository Direction (Yoruko) The truth is simple. The knowledge of Jignani is also simple. Get knowledge of Jignani, meditate, and ponder. Awareness will occur and understanding will deepen. What is “Yoruko”? Continue reading