今日の運命

 

一白水星の日

この日には不遇、失意気味の来訪者が多いものです。自分自身も、憂い事で憂鬱になるものです。 部下や子供の問題も出る。この日は特に陰徳に心がけることが大切です。

集中(止)と瞑想(観)   Concentration (stop) and meditation (view)

集中(止)と瞑想(観)

 

 

 

 では瞑想に入ろう。

 坐は半珈鉄坐。坐蒲をもちいる。瞑想の手印を組もう。これが初歩的瞑想の

基本姿勢である。(図5参照。ただし、この図では法界定印であるが、後出のアーカー

シャームドラーをもちいる場合もある。瞑想の基本姿勢については『輪廻転生瞑想法

H』に、くわしく解説しているので、かならず読んでいただきたい)

 瞑想の修行は、二つの領域から成り立つ。

 ひとつは精神集中法(・o9~ほ回忌、ひとつは瞑想法(ヨー’且~)である。

心を集中するとは

 これについて少し解説しよう。まず、シャマタ(止)である。

、禅における公案、また、祈りを捧げるとか、経

文を読む、真言を唱えるなども、精神集中法のひとつである。要はひとつのこと

に心を集中し、そこに〃止”まり、動かないことである。

これは、ひとっのことに心を集中するのである。

数息観がそ‘の代表であるが、、とで’‐ ことてことに意識を集申し、他のものに心

を向けない、これを積極的に意識的におこなうのであるひこれは修行のはじめの

過程として、だれでも通るものである。

この精神集中の状態は二つに分けることができる。

ひとつはこ息識的精神集中」で、ひとつのことにw

 つぎの段階が、「無意識的精神集中しの状態である。これは、高度のもので、

意識的精神集中をつづけているうちに、習練によって条件づけられ、ついに、と

くに意識しないでもひとつのことに心を集中することができるようになる。

 これによって無意識の意識層をコットロ’Iルし、2 つうでは絶対に統御でき

ない無意識の意識を、ある特定の対象に向けることができるようになるのである。

心の流れにまかせるとは

 つぎに、ビパシャナ(観)である。

 これは、ひとつのことに注意をとどめない。心の動きのひとつひとつに心を

向けていくが、ひとつのことにとどまっていない。心の流れにまかせるのであ

る。

 これにも、「意識的瞑想」と「無意識的瞑想」がある。

 「意識的瞑想」は、表面意識が心の流れを観ている。

 「無意識的瞑想」は、深層意識の心の流れそのものになっている。

 では、その深層意識の流れを観ているものはなにか? だれが深層意識の流

れを観ているのか? それは「無意識的精神集中」の心である。

 だから、「止」と「観」は密接な関係があるのである。いまおこなわれている

瞑想のほとんどは、「止」か「観」か、どちらかにかたよっている。禅は「止」

にウェイトがかかり、瞑想(としてやっているもの)は、「観」が主である。しか

し、「止」を完成した「観」でなければほんとうの瞑想ではなく、「止」でとど

まって「観」に入らない定は、これまたほんとうの瞑想ではないのである。

 「止」と「観」はおなじように修せられなければならない。そうして、非常に

高度の瞑想(観)をするためには、おなじように非常に高度の巣中(止)が体得

されていなければ不可能なのである。

 では「意識的瞑想」と「無意識的瞑想」とはどうちがうのか?

 ひと口でいうならば、

 意識的瞑想は「個の世界」を観、

 無意識的瞑想は「全の世界」を観る。 ・

 といったらよいであろう。

 意識的瞑想は「自分だけの世界の流れ」を観るのである。

 無意識的瞑想は「人類そのものの(世界の)流れ」を観るのである。いや、

もっと拡大した世界だ。「宇宙そのものの流れを観る」といったらよいであろう。

無意識の意識層には、原初からの人類の記憶がすべておさめられている。い

 

や、人類以前からの記憶がすべて秘められている。

 わたくしは、『輪廻転生瞑想法I』で、このことについてのべている。「個体発

生」と「系統発生」の意識と記憶について語った第二章を、もう一度読み返して

みていただきたい。

 

 

Concentration (stop) and meditation (view)

Let’s get into meditation.

The seat is a half-iron seat. Use zafu. Let’s set up a meditation sign. This is rudimentary meditation

This is the basic posture. (See Fig. 5. However, although it is a legal seal in this figure, the later-mentioned Aker

In some cases, a shahmdler is used. For the basic posture of meditation, see “Reincarnation Meditation Method”.

Please be sure to read it because it is explained in detail in “H”)

Meditation practice consists of two areas.

One is the mental concentration method (・ o9 ~ Holy memorial, one is the meditation method (Yo’and ~).

To concentrate on

Let’s explain this a little. First is Shamata (stop).

, Koan in Zen, prayer, sutra

Reading sentences and chanting mantras are also one of the methods of concentration. The point is one thing

Focus on, stay there, and don’t move.

This focuses on one thing.

The view of a few breaths is the representative of that, but at the same time, I focused on that and focused on other things.

Do not turn to, do this positively and consciously. This is the beginning of training.

As a process, anyone goes through.

This state of mental concentration can be divided into two.

One is “concentration of breath”, and one thing is w

The next stage is “a state of unconscious mental concentration. This is an advanced one.

As I continued to concentrate my consciousness, I was conditioned by practice, and finally

You will be able to concentrate on one thing without being conscious of it.

By doing this, the unconscious consciousness layer can be controlled by Cottro’I, and 2 can be absolutely controlled.

It becomes possible to direct the unconscious consciousness to a specific object.

To leave it to the flow of the heart

Next is Bipashana (view).

This does not pay attention to one thing. Put your heart into each movement of your heart

I’m going, but it’s not just one thing. Leave it to the flow of your heart

To.

There are also “conscious meditation” and “unconscious meditation”.

In “conscious meditation”, surface consciousness is watching the flow of the mind.

“Unconscious meditation” is the flow of the mind of deep consciousness itself.

Then, what is watching the flow of deep consciousness? Who is the flow of deep consciousness

Are you watching this? It is the mind of “unconscious concentration”.

Therefore, “stop” and “view” are closely related. Now being done

Most meditations depend on either “stop” or “view.” Zen is “stop”

The weight is applied to, and meditation (what you are doing as) is mainly “view”. Shika

However, if it is not a “view” that completes the “stop”, it is not a true meditation, but a “stop”.

The fact that it doesn’t fit into the “view” is not really meditation either.

“Stop” and “view” must be mastered in the same way. And very

In order to perform advanced meditation (viewing), you must acquire a very advanced nest (stop) in the same way.

It is impossible if it is not done.

Then, what is the difference between “conscious meditation” and “unconscious meditation”?

In a nutshell,

Conscious meditation sees the “individual world”,

Unconscious meditation sees the “whole world”.・ ・

It would be nice to say.

Conscious meditation sees “the flow of your own world”.

Unconscious meditation sees the “flow of mankind itself (in the world)”. Disagreeable,

It’s a more expanded world. It would be nice to say, “Watch the flow of the universe itself.”

The unconscious conscious layer contains all the memories of humankind from the beginning. I

And all the memories from before humankind are hidden.

I mentioned this in “Reincarnation Meditation I”. “Individual departure

Reread Chapter 2, which talks about the consciousness and memory of “life” and “phylogenetics”

I want you to see it.

四種の呼吸法   Four types of breathing

 

四種の呼吸法

 教える瞑想の呼吸法は、四種の呼吸法から成り立つ。

 一、長出入息呼吸法

 二、長山息呼吸法

 三、反式呼吸法

 四、強短息呼吸法(火の呼吸法)

 である。

 簡単に説明すると、一の長出大息呼吸法は、出る息、入る息、どちらも、で

きるだけ細く長く深く呼吸する。一呼吸に二十秒から三十秒、一分くらい、時

間をかける。

 二の長出息呼吸法は、出る息のみをできるかぎり細く長く吐いて、吸う息は

2  つうに吸う。

 三の反式呼吸法は、2  つうの呼吸とちかって、息を吸うとき、腹部をひっこ

め、息を吐くとき、腹部をふくらませる。ちょうど逆になるわけである。

 四の強短息呼吸法は、「火の呼吸法」とよび、片方の鼻孔を指で押さえて閉

じ、片方の鼻孔で強く短く呼吸する。

 

Four types of breathing

The meditation breathing method taught in this book consists of four types of breathing methods.

1. Long breathing breathing method

Second, Nagayama breathing method

Third, anti-breathing method

4. Strong and short breath breathing method (fire breathing method)

It is.

To briefly explain, one long-breathing breathing method is to breathe out and breathe in.

Breathe as thin, long and deep as possible. 20 to 30 seconds per breath, about 1 minute, hour

Take a moment.

The second long breath breathing method exhales only the exhaled breath as thin and long as possible, and the inhaled breath is

2 Smoke normally.

The third anti-breathing method is different from the second breathing, and when inhaling, the abdomen is pulled.

Therefore, when you exhale, inflate your abdomen. It’s just the opposite.

The four strong and short breathing methods are called “fire breathing methods”, and one nostril is pressed with a finger to close it.

Breathe strongly and shortly through one nostril.

今日の運勢 10月3日  Today’s fortune October 3


六白金星の日

新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと。

再生の週  親の日
趣味や仕事に没頭できる日。
予想以上の成果が得られるので、一気に片付けましょう。
さらに恋愛運が好調なので、意中の人との距離を縮めるためには、この日に行動することをお勧めします

Six Platinum Star Day

There was contact with a person who had a new project. It’s easy to get upset and fight. Losing is winning. If you get angry, lose yourself, don’t be proud of yourself. Heartwarming and heartwarming.

Rebirth Week Parent’s Day
A day when you can immerse yourself in your hobbies and work.
You’ll get better results than you expected, so get rid of it all at once.
In addition, love luck is good, so it is recommended to act on this day to get closer to the person you are interested in.





集中(止)と瞑想(観)   Concentration (stop) and meditation (view)

集中(止)と瞑想(観)

 

 

 

 では瞑想に入ろう。

 坐は半珈鉄坐。坐蒲をもちいる。瞑想の手印を組もう。これが初歩的瞑想の

基本姿勢である。(図5参照。ただし、この図では法界定印であるが、後出のアーカー

シャームドラーをもちいる場合もある。瞑想の基本姿勢については『輪廻転生瞑想法

H』に、くわしく解説しているので、かならず読んでいただきたい)

 瞑想の修行は、二つの領域から成り立つ。

 ひとつは精神集中法(・o9~ほ回忌、ひとつは瞑想法(ヨー’且~)である。

心を集中するとは

 これについて少し解説しよう。まず、シャマタ(止)である。

、禅における公案、また、祈りを捧げるとか、経

文を読む、真言を唱えるなども、精神集中法のひとつである。要はひとつのこと

に心を集中し、そこに〃止”まり、動かないことである。

これは、ひとっのことに心を集中するのである。

数息観がそ‘の代表であるが、、とで’‐ ことてことに意識を集申し、他のものに心

を向けない、これを積極的に意識的におこなうのであるひこれは修行のはじめの

過程として、だれでも通るものである。

この精神集中の状態は二つに分けることができる。

ひとつはこ息識的精神集中」で、ひとつのことにw

 つぎの段階が、「無意識的精神集中しの状態である。これは、高度のもので、

意識的精神集中をつづけているうちに、習練によって条件づけられ、ついに、と

くに意識しないでもひとつのことに心を集中することができるようになる。

 これによって無意識の意識層をコットロ’Iルし、2 つうでは絶対に統御でき

ない無意識の意識を、ある特定の対象に向けることができるようになるのである。

心の流れにまかせるとは

 つぎに、ビパシャナ(観)である。

 これは、ひとつのことに注意をとどめない。心の動きのひとつひとつに心を

向けていくが、ひとつのことにとどまっていない。心の流れにまかせるのであ

る。

 これにも、「意識的瞑想」と「無意識的瞑想」がある。

 「意識的瞑想」は、表面意識が心の流れを観ている。

 「無意識的瞑想」は、深層意識の心の流れそのものになっている。

 では、その深層意識の流れを観ているものはなにか? だれが深層意識の流

れを観ているのか? それは「無意識的精神集中」の心である。

 だから、「止」と「観」は密接な関係があるのである。いまおこなわれている

瞑想のほとんどは、「止」か「観」か、どちらかにかたよっている。禅は「止」

にウェイトがかかり、瞑想(としてやっているもの)は、「観」が主である。しか

し、「止」を完成した「観」でなければほんとうの瞑想ではなく、「止」でとど

まって「観」に入らない定は、これまたほんとうの瞑想ではないのである。

 「止」と「観」はおなじように修せられなければならない。そうして、非常に

高度の瞑想(観)をするためには、おなじように非常に高度の巣中(止)が体得

されていなければ不可能なのである。

 では「意識的瞑想」と「無意識的瞑想」とはどうちがうのか?

 ひと口でいうならば、

 意識的瞑想は「個の世界」を観、

 無意識的瞑想は「全の世界」を観る。 ・

 といったらよいであろう。

 意識的瞑想は「自分だけの世界の流れ」を観るのである。

 無意識的瞑想は「人類そのものの(世界の)流れ」を観るのである。いや、

もっと拡大した世界だ。「宇宙そのものの流れを観る」といったらよいであろう。

無意識の意識層には、原初からの人類の記憶がすべておさめられている。い

 

や、人類以前からの記憶がすべて秘められている。

 わたくしは、『輪廻転生瞑想法I』で、このことについてのべている。「個体発

生」と「系統発生」の意識と記憶について語った第二章を、もう一度読み返して

みていただきたい。

 

 

Concentration (stop) and meditation (view)

Let’s get into meditation.

The seat is a half-iron seat. Use zafu. Let’s set up a meditation sign. This is rudimentary meditation

This is the basic posture. (See Fig. 5. However, although it is a legal seal in this figure, the later-mentioned Aker

In some cases, a shahmdler is used. For the basic posture of meditation, see “Reincarnation Meditation Method”.

Please be sure to read it because it is explained in detail in “H”)

Meditation practice consists of two areas.

One is the mental concentration method (・ o9 ~ Holy memorial, one is the meditation method (Yo’and ~).

To concentrate on

Let’s explain this a little. First is Shamata (stop).

, Koan in Zen, prayer, sutra

Reading sentences and chanting mantras are also one of the methods of concentration. The point is one thing

Focus on, stay there, and don’t move.

This focuses on one thing.

The view of a few breaths is the representative of that, but at the same time, I focused on that and focused on other things.

Do not turn to, do this positively and consciously. This is the beginning of training.

As a process, anyone goes through.

This state of mental concentration can be divided into two.

One is “concentration of breath”, and one thing is w

The next stage is “a state of unconscious mental concentration. This is an advanced one.

As I continued to concentrate my consciousness, I was conditioned by practice, and finally

You will be able to concentrate on one thing without being conscious of it.

By doing this, the unconscious consciousness layer can be controlled by Cottro’I, and 2 can be absolutely controlled.

It becomes possible to direct the unconscious consciousness to a specific object.

To leave it to the flow of the heart

Next is Bipashana (view).

This does not pay attention to one thing. Put your heart into each movement of your heart

I’m going, but it’s not just one thing. Leave it to the flow of your heart

To.

There are also “conscious meditation” and “unconscious meditation”.

In “conscious meditation”, surface consciousness is watching the flow of the mind.

“Unconscious meditation” is the flow of the mind of deep consciousness itself.

Then, what is watching the flow of deep consciousness? Who is the flow of deep consciousness

Are you watching this? It is the mind of “unconscious concentration”.

Therefore, “stop” and “view” are closely related. Now being done

Most meditations depend on either “stop” or “view.” Zen is “stop”

The weight is applied to, and meditation (what you are doing as) is mainly “view”. Shika

However, if it is not a “view” that completes the “stop”, it is not a true meditation, but a “stop”.

The fact that it doesn’t fit into the “view” is not really meditation either.

“Stop” and “view” must be mastered in the same way. And very

In order to perform advanced meditation (viewing), you must acquire a very advanced nest (stop) in the same way.

It is impossible if it is not done.

Then, what is the difference between “conscious meditation” and “unconscious meditation”?

In a nutshell,

Conscious meditation sees the “individual world”,

Unconscious meditation sees the “whole world”.・ ・

It would be nice to say.

Conscious meditation sees “the flow of your own world”.

Unconscious meditation sees the “flow of mankind itself (in the world)”. Disagreeable,

It’s a more expanded world. It would be nice to say, “Watch the flow of the universe itself.”

The unconscious conscious layer contains all the memories of humankind from the beginning. I

And all the memories from before humankind are hidden.

I mentioned this in “Reincarnation Meditation I”. “Individual departure

Reread Chapter 2, which talks about the consciousness and memory of “life” and “phylogenetics”

I want you to see it.

解脱に至る四つの階梯   Four steps leading to liberation

 賢明な読者はすでにお気づきであっだろう。これが、チベット密教のいう

「思念による王者の相承」であることを。思念による王者の相承とは、じつに、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

 わたくしは、これによって、解説に至る四つの階梯のうちの、第三の境地に達したことを自覚したのであるが、これは、間脳開発の練行tapasを成就していなかったら、絶対に得られなかったものである。内なる受容の態勢がととのって初めて、外よりの王者相承が発せられるのである。

 

解脱に至る四つの階梯

 

 いま、わたくしは、「解脱に至る四つの階梯」といった。

 だれでも、解脱に至るためには、この四つの段階を経なければならない。そしてこの四つの階梯を、すぐれた聖師にしたがって歩んでいくならば、だれでも解脱に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもそのとおりだ。

 

 そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。

 

四つの階梯とは、

 

一、Srota aPanna 須陀証

二、sakrd agamin  斯陀含

三、anagmin               阿那含

四、arhat          阿羅漢

 

である。

説明すると、

須陀逼--きよめられた聖者

斯陀含 ーー められた聖者

阿那含ーー(次元を)飛躍した聖者

阿羅漢ーー(次元を)超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。

 

では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。

 

脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行

 

 それはひと口にいって、大脳辺縁糸・新皮質脳を殺す修行である。

 大脳辺縁糸と新皮質脳を殺さなければ、間脳は作動せず、第三の目は開かな

いのである。

 ただし、誤解してはいけない。大脳辺繰系・新皮質脳を殺すということは、

究極において、大脳辺繰糸、ことに新皮質脳を生かすということなのである。新

皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとぅの創造の座は間脳に

あるのである。間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、霊 感の座なのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピレーションが発生するのである。

 

ただし、間脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を閉ざさなければならないのである。間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しくよみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なインスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。

 

 ではそれはどんな修行か?

 

霊性完成の方法と体系

 釈尊が残した霊性完成の修行法がそれである。これを、わたくしは、「成仏法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就した人を「仏陀」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。

 くわしくは、『輪廻転生瞑想法H』でのべたとおりであるが、それは七つのシステムと三十七種のカリキュラムから成る成仏のための方法と体系である。これを、阿含経では「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」とよぶのである。この二つの名称は、わたくしが勝手につけたのではない。古来からの仏教用語である。

 

 わたくしが、阿含経以外のお経―-法華経、阿弥陀経をはじめすべてのお経

をいささか激しい表現で批判するのは、阿含経以外のお経には、どの経典に

も、この成仏法がないからである。釈尊がじっさい説かれたのは阿合経だけで

あるという歴史的な事実のほかに、阿含経以外には、この「成仏法」がないか

ら、わたくしはそういうのである。「成仏法」のない経典など、わたくしは真実

の仏教経典と認めることはできないのである。もちろん、それなりの存在意義

なり存在価値はあろうが、本流ではない。傍流というべきである。このことに

関しては、わたくしの他の著書を読んでいただきたい。

 

七科三十七道品とはつぎのようなものである。

 

四念住法身念住法 受念住法 心念住法 法念住法

以上である。

この七科目、三十七種のカリキュラムは、

 一、瞑想

 二、実践

 三、tapas(練行)

 

四正断法-断断法 修断法 随護断法 律儀断法

四神足法白欲神足法 勤神足法 心神足法 観神足法

五根法-信根法 精進根法 念根法 定根法 慧根法

五力法-信力法 精進力法 念力法 定力法 慧力法

七覚支法択法覚文法 精進覚支法 喜覚支法

      定覚支法 念覚文法 軽安覚文法 捨覚文法

八正道法-正見法 正思惟法 正語法 正業法 正命法 正精進法

      正念法 正定法

 

に分類できる。

 四念住法・五根法は、瞑想である。

 四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。

 四神足法は、特殊な練行tapasである。

 神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然の神通力を得

るための四種の修行法である。前にのべたわたくしの練行tapasはこれに属である。

 この七つの科目のうち、練行tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて

修行するのである。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、

聖師が決定ずる。修行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それを見て、グルがめるのである。

 この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ

 

霊性の洗礼

 

まず、間違いなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れても

らうことである。それができたら、この修行は八分どおり成功したといっていい

くらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということある。

 グルなくして、正しい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信

心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教

わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊的能力

を持つグルの助けなくしては、絶対といっていいほど、できないのである。

 たとえば、インド近代の聖者ラーマナーマハリシが、入門者に対して、「凝視

の方法」で受け入れの儀式をおこなったとき、彼の両眼の輝きと力が相手の心

をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。ときとして

は、まるで電流が身の内に流れ込んだように相手は感じたともいわれる。

 

A wise reader will have already noticed. This is what Tibetan Buddhism calls

That it is “the consensus of the king by thought”. The thoughtful consensus of the king was, in fact, a transmission by spiritual vibration.

I realized that I had reached the third level of the four steps leading up to the commentary, but this would definitely be the case if I had not fulfilled the diencephalon development practice tapas. It was not obtained. Only when the inner acceptance system is established will the king’s consent from the outside be issued.

Four steps leading up to liberation

Now, I say “four steps leading up to liberation”.

Anyone must go through these four stages in order to reach liberation. And anyone can reach liberation by walking along these four steps according to a good priest. Of course, you are right.

Therefore, let’s take a look at these four steps.

What are the four steps?

I, Srota a Panna Suda Certificate

2. Sakrd agamin, including sakadagami

3, anagmin, including Ana

Four, arhat, Arhat

Is.

To explain,

Suda 逼 — A cleansed saint

Including the saint

A saint who made a leap forward (in dimension)

Arhat (transcendental dimension), also known as the completed saint, “Buddha”.

Then, how do the practitioners walk through these four steps?

Training to kill the limbic system and neocortical brain

It is a practice to kill the limbic thread and neocortical brain in a bite.

If the limbic thread and neocortical brain are not killed, the diencephalon will not work and the third eye will be open.

It is.

However, don’t get me wrong. Killing the limbic system / neocortical brain means

Ultimately, it is to make use of the limbic thread, especially the neocortical brain. New

The cortical brain is said to be the “seat of creation.” However, the true position of creation is in the diencephalon.

There is. The diencephalon is a place of spirituality and a seat of inspiration, as I have repeatedly explained. The development of this place is a real inspiration.

However, in order to develop the diencephalon, the limbic system and neocortical brain must be closed for some time. When the diencephalon is developed, the neocortical brain is revived. The newly revived neocortical brain is the brain with superhuman inspiration and creativity based on spirituality.

Then what kind of training is it?

Method and system of spiritual completion

That is the practice of completing spirituality left by Buddha. This is what I call the “Buddhahood Law.” The Buddhahood means the completion of spirituality, and the person who fulfills it is called the “Buddha”. That is why I call that method the “Buddhahood method.”

The details are as described in “Reincarnation Meditation Method H”, which is a method and system for the Buddhahood consisting of seven systems and thirty-seven curriculums. In Agama, this is called “Seven departments and thirty-seven dojos” or “37 Bodhipakkhi”. These two names were not given by me. It is an ancient Buddhist term.

I am all sutras other than Agama sutras, including the Lotus Sutra and Amida sutras.

The sutras other than Agama are the ones who criticize the sutras with a rather fierce expression.

However, this is because there is no Buddhahood law. Sakyamuni was actually explained only by Ago.

In addition to the historical fact that there is, is there any other “Buddhahood method” other than Agama?

That’s what I am. I am the truth, such as the scriptures without the “Buddhahood Law”

It cannot be recognized as a Buddhist scripture. Of course, the significance of existence

It may have some value, but it is not the mainstream. It should be called a sidestream. About this

Regarding this, please read my other books.

The seven departments and thirty-seven dozens are as follows.

Satipatthana method, Satipatthana method, Satipatthana method, Satipatthana method, Satipatthana method

That is all.

These seven subjects, thirty-seven kinds of curriculum,

One, meditation

Second, practice

Three, tapas (training)

Four Right Exertions-Cut Law, Repair Law, Defensive Law, Law Law

Iddhipada white greed foot method, work god foot method, heart god foot method, Kanjin foot method

Indriya method-Shinne method, Seishin root method, Nene method, Fixed root method, Keine method

Five-strength method-credit method, devotion method, psychokinesis method, constant power method, and power method

Seven Factors of Awakening-Choice of Awakening Grammar

Jokaku grammar, grammar, light grammar, grammar, grammar

Noble Eightfold Path-Fa Zheng Method, Fa Zheng Method, Fa Zheng Method, Fa Zheng Method, Fa Zheng Method, Fa Zheng Method

Mindfulness method, orthodox method

Can be classified into.

The Satipatthana method and the Indriya method are meditations.

The Four Right Exertions, the Five Strengths, the Seven Factors of Awakening, and the Noble Eightfold Path are practice and meditation.

Iddhipada method is a special training tapas.

Iddhipada is the magical power (supernatural power), and this Iddhipada method obtains the supernatural magical power.

There are four types of training methods for this purpose. The previously mentioned sticky training tapas belongs to this genus.

Of these seven subjects, meditation and practice subjects were incorporated, centering on training tapas.

To practice. How to take in which subject and how to train

The Holy Master decides. Each practitioner has different qualities and ties, so when he sees it, he guru.

In this training, the guru plays a big role. About Guru, a little bit

Spiritual baptism

First of all, even if you definitely find a guru that reveals spirituality and accept it

It is to get. If you can do that, you can say that this training was successful as much as eight minutes.

About. It’s that important and it’s difficult.

Without a guru, it would be impossible to practice Buddhism with proper spiritual manifestation. Ordinary Buddhist faith

It is different from the mind. Teaching how to believe, how to believe, lectures and interpretations of scriptures

Anyway, the Buddhist training of spiritual manifestation is a powerful spiritual ability.

It can hardly be done without the help of a guru.

For example, the modern saint of India, Ramana Maharishi, told the beginners, “Gaze.

When the ritual of acceptance was performed by “the method of”, the brilliance and power of his eyes were the heart of the other person.

It is said that he broke through the flow of thoughts. Sometimes

It is said that the other party felt as if an electric current had flowed into his body.

 

縁起流転水想観  Enryaku-kan

縁起流転水想観

 

 

舎利子よ。

 その教えをここに説くならば、形ありとて形にとらわるべからず。縁あってかりに形を生じたものなれば、縁によっては、また、形なき空なるものに変らん。また、形なしとて無しと思うな、縁によっては、形を生じ相をあらわす。

たとえば、かの水を見よ。熱するという縁をあたうれば熱湯となり、蒸気となって空にとけこむ。

 

 

さむればふたたび水となり、雨となって地に降りそそぐ。寒冷の縁にあわばかたき氷となり、つめたき霜の柱となる。

 

水の自性に変りなく、ただ縁によってかく変化す。世のことすべてみなこの如し、形あるも無きも本は一体にして、すべて因縁次第なり。

 

人の心の作用の、受も想も行も、識のはたらき、すべてこの理にほかならず。

人は敷き、悲しみ、あるいは喜ぶ、されど、人の性の内に、敷き、悲しみ、喜びの、

一定の性のあるにはあらず。因縁因果の理法により、因に応じ、縁が動いて、かりに相をあらわすのみ。これを空の理と云うぞ。         (意訳般若心経)

 

Engi Ruten

Enryaku-kan

Sariko.

If you teach that teaching here, don’t take it as a form. Relationship

If it becomes a shape, it will change to an empty shape, depending on the edge. Also,

I don’t think there is a shape, but depending on the edge, it creates a shape and represents a phase. For example,

Look at the water. When it hits the edge of heating, it becomes hot water and becomes steam and melts into the .emptiness

If you sneak in, it will become water again, and it will rain and pour on the ground. Abalone on the edge of cold

It becomes ice and becomes a pillar of frost. It does not change to the nature of the water, it changes only by the edge

You Everything about the world is like this, the book with and without form is united, and everything depends on the cause

Nari The action, the thought, and the deed of the actions of the human mind, the function of knowledge, all this reason.

A person lays, mourns, or rejoices, but within the sex of a person

Not to have a certain sex. According to the causal law, the edge moves according to the cause,

It only shows the phase. This is called      emptiness  theory. ______

縁起流転水想観  Enryaku-kan

えんぎ るてん

縁起流転水想観

 

 

舎利子よ。

 その教えをここに説くならば、形ありとて形にとらわるべからず。縁あってかりに形を生じたものなれば、縁によっては、また、形なき空なるものに変らん。また、形なしとて無しと思うな、縁によっては、形を生じ相をあらわす。

たとえば、かの水を見よ。熱するという縁をあたうれば熱湯となり、蒸気となって空にとけこむ。

 

 

さむればふたたび水となり、雨となって地に降りそそぐ。寒冷の縁にあわばかたき氷となり、つめたき霜の柱となる。

 

水の自性に変りなく、ただ縁によってかく変化す。世のことすべてみなこの如し、形あるも無きも本は一体にして、すべて因縁次第なり。

 

人の心の作用の、受も想も行も、識のはたらき、すべてこの理にほかならず。

人は敷き、悲しみ、あるいは喜ぶ、されど、人の性の内に、敷き、悲しみ、喜びの、

一定の性のあるにはあらず。因縁因果の理法により、因に応じ、縁が動いて、かりに相をあらわすのみ。これを空の理と云うぞ。         (意訳般若心経)

 

Engi Ruten

Enryaku-kan

Sariko.

If you teach that teaching here, don’t take it as a form. Relationship

If it becomes a shape, it will change to an empty shape, depending on the edge. Also,

I don’t think there is a shape, but depending on the edge, it creates a shape and represents a phase. For example,

Look at the water. When it hits the edge of heating, it becomes hot water and becomes steam and melts into the .emptiness

If you sneak in, it will become water again, and it will rain and pour on the ground. Abalone on the edge of cold

It becomes ice and becomes a pillar of frost. It does not change to the nature of the water, it changes only by the edge

You Everything about the world is like this, the book with and without form is united, and everything depends on the cause

Nari The action, the thought, and the deed of the actions of the human mind, the function of knowledge, all this reason.

A person lays, mourns, or rejoices, but within the sex of a person

Not to have a certain sex. According to the causal law, the edge moves according to the cause,

It only shows the phase. This is called      emptiness  theory. ______

ソンディー  心理学

 

 

 

110306_2305

  • レオポルド・ソンディは、1893年、当時のハンガリー領(現チェコスロハキヤ領)のニイトラという町で生まれる。父はユダヤハンガリー人で、靴加工職人であった。彼は12人の同胞中、第12子で、かつ後妻の子であった。4歳の時、プタペストにいる異母兄にひきとられ成育した。その後1944年にナチのユダヤ追放の悲運に会うまでの47年間は、この地にあり、教育もこの地で受けたが、幼少時代からの貧困で複雑な家庭環境は、とりわけ異母兄夫婦のいさかいを見るにつけ、彼をして家族の問題に過敏にさせる素地を形成していった。
  • 1911年に高校を卒業と同時に、医科進学のための国家試験に合格。1919年ブタペスト大学医学部より学位を取得している。
  • 大戦後は、プタペスト大学のランシュブルグ教授が主宰する実験心理学研究所の助手にもなり、記憶実験や知能測定の実際を学んだ。最初の公刊論文は、この助手時代の成果である『欠陥知能』であった。
  • 1927年、プタベストの治療教育大学の精神病理学教室の講師に任ぜられ、同時に精神療法クリニックの医長も兼務し、1941年、ナチの追害による公職追放にあうまで、この地位にあった。この14年間は、ハンガリー時代における精神科医としての、もっとも充実した活動の期間でもあった。ことに精神薄弱児の治療と教育に関連しての体質学への関心は、遺伝学への興味となり、ミュンヘン大学のルーディン一派の家系研究に傾倒した。やがて無意識の遺伝学として、配偶者選択や職業選択のあり方に注目させ、ソンディをして生涯のテーマである運命分析学の臨床家たらしめることになった。

 

 

1. ソンディはフロイトの精神分析の本質である「無意識の抑圧と防衛の力動過程」の構造を,思考や観念ではなく目に見える形で表現する選択テストを創案すると同時に,その理論として衝動の選択心理学を創始した.そして,その認識方法を,精神の治療面と診断面で実用化する衝動病理学,衝動診断学を展開し,それによって思考精神医学の退路を遮断,実用精神医学への道を開いた.選択は運命であるゆえ,それは運命分析へと発展したのである.

2. フロイトがいろいろな局面で言及し,立ち止まらざるを得なかった原因,つまり分析を困難ならしめる「素因的なもの」というのは,「いろいろな無意識層のうち特に祖先から伝わり現在その個人の精神に成り変わって自演している厄介な衝動の振る舞い」にほかならなかった.これはソンディ心理学において8個の遺伝子記号の様態で表現される.この「遺伝子の力動過程」を,構造的に視覚化する方法,およびその認識を治療面で実用する運命分析療法を創始し,「終わりなき分析」を終結させる方法を完成した.

要約すれば,ソンディは,フロィトが1905年以来,本能と明確に区別して追求した「衝動 1)」のふるまいを研究し,次のような衝動学の全体系を完成させたのである.

衝動心理学——–「衝動ファクタ・ペクタの心理学」および「実験的症候群論」
衝動測定学——–「ソンディ・テスト」器具,方法,一般的解釈法
衝動診断学——–「実験衝動診断学」および「リンネ式表」,特別な解釈法
衝動病理学——–「衝動病理学A,B」および「自我分析」
衝動分析学——–「運命分析」
衝動治療学——–「運命分析療法」
彼が,多くの流派に分裂した深層心理学を統一しようと考えていたことは,フロイトの真の後継者として当然であった.彼が深層心理学研究の主流と考えた無意識の層は,フロイトの個人的無意識,ユングの集合的無意識,そして彼自身の家族的無意識の3つの層である.

それゆえ,ソンディ・テストの結果得られる前景・理論背景・実験背景の3つの人格プロフィルは,それぞれの無意識層が表現される.すなわち

精神分析的解釈(S.Freud)
象徴分析的解釈(C.G.Jung)
運命分析的解釈(L.Szondi)
の3通りの解釈が同時に実現し,了解され,説明される構造になっている.

本書は,ソンディがフロイトの遺言を完全に引き受け,延長し,無意識の遺伝学と診断・治療学を完成した事実と方法を,心理学徒やカウンセリングを学ぶ人にとって,すぐ役に立つ実用的な形で記載したものである.原稿を書くにあたって先人の訳業も充分に活用したが,重要部分は必ず原著に当たるとともに,ソンディに会って直接確かめた事項に基づき,新たな解釈を付け加えた部分も多い.

本書の各項にちりばめられているソンディの学説は,以下にあげる主要原著から得られたものである.

「運命分析」(1944,1948,1964)
「ソンディテスト」(1946)
「衝動病理学A,B」(1951)
「自我分析」(1956)
「衝動リンネ式表」(1960)
「実験衝動診断法」(1960)
「運命分析療法」(1963)
「衝動統合を失った人々」(1979)

人は輪廻転生するか   Does a person reincarnate?

<img class=”alignnone size-thumbnail wp-image-2133″ src=”http://cyber-price.com/buddha/wp-content/uploads/2020/05/images-12-150×150.jpeg” alt=”” width=”150″ height=”150″ />

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<span dir=”LTR”>人は輪廻転生するか</span><span dir=”LTR”>  </span>

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<span dir=”LTR”>理解できなかったのも無理はないのである。現世において現実にこうして自分は存</span>

<span dir=”LTR”>在しているのに、その自分(自我)をみとめないなんて!</span>

<span dir=”LTR”> そこで、世尊、ねがわくばわたくしのために教法を説いて、智慧の眼をひらかせて</span>

<span dir=”LTR”>ください。こうお願いしたわけである。</span>

&nbsp;
<h2><span dir=”LTR”>仏陀と弟子の霊魂論</span></h2>
&nbsp;

<span dir=”LTR”>そこで、釈尊は、セーニヤに無我・縁起の法を説かれたのである。</span>

<span dir=”LTR”>まず、釈尊はセーニヤに、</span><span dir=”LTR”>「身体</span><span dir=”LTR”>が</span><span dir=”LTR”>ハートマン)か?」</span>

<span dir=”LTR”> と質問する。セーニヤは「いいえ」と否定する。</span>

<span dir=”LTR”> 「では、受・想・行・識のこころのはたらきが自我(アートマン)か?」</span>

<span dir=”LTR”> とたずねる。セドニヤはこれまた、「いいえ」と否定する。</span>

<span dir=”LTR”>「では、色の外に自我(アートマン)があるのか? 受・想・行・識の外に自我(ア</span>

<span dir=”LTR”>ートマン)があるのか?」</span>

<span dir=”LTR”> セーニヤはこれまた否定する。</span>

<span dir=”LTR”>「では、色のどこかに自我(アートマン)があるのか?」</span>

<span dir=”LTR”>「いいえ」</span>

<span dir=”LTR”>「では、受・想・行・識のどこかに自我(アートマン)があるのか?」</span>

<span dir=”LTR”> これまたセーニヤは、「いいえ」というよりほかはない。</span>

<span dir=”LTR”> 釈尊はこのようにたてつづけに質問して、色・受・想・行・識(五羅という)の内</span>

<span dir=”LTR”>にも外にもどこにも「自我」(アートマン)という特別な存在が、実在していないこ</span>

<span dir=”LTR”>とをさとらせるわけである。というのは、さきにものべたように、当時の代表的な思</span>

<span dir=”LTR”>想であるバラモン教では、五菰のほかに特別な自我(アートマン)という存在があっ</span>

<span dir=”LTR”>て、これが不滅の実在であり、(死んで)五羅が消滅しても、これが、輪廻再生する</span>

<span dir=”LTR”>のだと説いていたからである。釈尊は、そういう、五羅のほかに実在するという自我</span>

<span dir=”LTR”>(アートマン)はないのだということを、セーニヤにひとつひとつ質問して理解させ</span>

<span dir=”LTR”>たわけである。</span>

<span dir=”LTR”> では、いったい自我(アートマン)はどこにあるのかというと、色・受・想・行・</span>

<span dir=”LTR”>識の五菰の結合自体が自我であるというわけである。つまり、自我というものは、</span>

<span dir=”LTR”>色・受・想・行・識の五羅がひとつの因縁によって集合してできたものであって、そ</span>

<span dir=”LTR”>れをはなれて特別な自我(アートマン)という実在はないのだというのである。だか</span>

<span dir=”LTR”>ら</span>

<span dir=”LTR”>  『第三師は現在世に我(の実在)を見ず。命終の後も我(の実在)を見ず』</span>

<span dir=”LTR”> ということになるわけである。</span>

<span dir=”LTR”> 因縁による五羅の仮合そのものが自我であり、因縁が消滅すれば五羅も消滅し、同</span>

<span dir=”LTR”>時に自我も消滅する。どこにも常住不変の実在としての自我などない、ということで</span>

<span dir=”LTR”>ある。</span>

<span dir=”LTR”> </span>

Will people reincarnate?

No wonder they didn’t understand. This is how I really exist in this world

Even though I’m there, I can’t find myself!

Therefore, preaching the teaching method for Negaku Wakubakushi, open the eyes of wisdom

Please give me. That’s why I asked.

Buddha and disciple soul theory

Therefore, Shakyamuni had Senya explain the law of selflessness and auspiciousness.

First, Shakyamuni asked Senya, “Is the body a Hartman?”

Ask. Senya denies “no”.

“So, is the ego (artman) the work of the mind of reception, thought, conduct, and knowledge?”

Ask. Sedonia also denied “no”.

“So, is there an ego (artman) outside the color?

Is there a (Man)? ”

Senya denies this again.

“So, is there an ego (artman) somewhere in the color?”

“No”

“So, is there an ego (artman) somewhere in the mind, thought, conduct, or sense?”

❖ Again, Senya is nothing more than “No”.

Shakyamuni asks questions like this, and chooses from among colors, receiving, thoughts, conduct, and knowledge (referred to as Gora).

In addition, there is no special existence called “ego” (artman) in the outside or anywhere.

And let’s stop. Because, as I mentioned earlier, the typical thoughts of the time

In the idea of ​​Brahminism, there is a special ego (artman) in addition to the five points.

This is an immortal reality, and even if (dead) Gora disappears, it regenerates.

Because he was saying that. Buddha is such an ego that exists in addition to Goura.

Asking Senya to understand that there is no (Artman)

That is why.

Then, where is the ego (artman)? Color, reception, thought, line,

That is, the combination of the five points of knowledge is the ego. So the ego is

It is a collection of the five elements of color, reception, thought, deed, and intellect, all of which are related to one another.

It is said that there is no reality of being a special ego (artman). Or

From

“Third teacher does not see me” in the present world. Even after the end of my life, I don’t look at myself

It means that.

The intent of Gora by the cause is the ego itself, and when the cause disappears, Gora also disappears.

Sometimes the ego disappears. That there is no ego as a permanent immutable reality

is there.

&nbsp;